117年 ローマ帝国 最大領土になる

ローマ帝国の領土
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いいな(117)、ローマ帝国 最大領土になる

2人目の五賢帝であるトラヤヌスは、ダキアメソポタミアを征服し、ローマ帝国は最大の領土になります。

ダキアは、現在のルーマニア周辺です。メソポタミアは征服したものの、パルティアにすぐに奪われました。

この記事では、トラヤヌス帝の時代のローマ帝国の最大領土の時代について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

五賢帝時代とトラヤヌス帝

トラヤヌス
トラヤヌス

ネロ帝死後の混乱を収めたネルウァ(またはネルヴァ)から始まった五賢帝時代

ローマ皇帝ネルウァは、有能な将軍トラヤヌスを養子として迎え、ローマ帝国は最盛期を迎えます。

トラヤヌスは、属州であるヒスパニア出身で、初の属州出身のローマ皇帝として知られています。

ダキア戦争

ダキア戦争
ダキア戦争

ダキアは、カルパチア山脈周辺に位置し、デケバルス王のもとで勢力を拡大していました。

ローマ帝国の北の国境ライン「ドナウ川」沿いで強国となり、ローマを脅かすようになります。

鉱山資源が豊富なダキア

ダキアは、当時、金や銀といった鉱山資源が豊富だったため、ローマにとって経済的に非常に魅力的な地域でした。

ダキア征服

ダキア属州
ダキア属州

トラヤヌス帝は、強大化するダキアの脅威を根絶し、さらに財源の獲得を狙ってダキア戦争を決断しました。

ダキア戦争は、101年(第1次)と、105年(第2次)の2回に渡って行われます。

最終的に、ダキア王デケバルスは敗北し、ダキアはローマ帝国の属州になりました。

「ローマ人の地」、ルーマニア

その後、多くのローマ人が入植したことから、ダキアは「ローマ人の地」を意味するルーマニア(Romania)と呼ばれるようになります。

パルティア遠征

ダキア征服後のトラヤヌスは、113年にアルメニアをめぐる対立からパルティアとの戦争へ進みました。

アルメニア征服

アルメニア属州
アルメニア属州

アルメニアはローマとパルティアにはさまれた重要地域で、両国の影響力争いが続いていました。

トラヤヌスは114年にアルメニアへ侵入し、パルティア系の王を退けて属州化しました。

メソポタミア征服

メソポタミア属州
メソポタミア属州

トラヤヌスは、アルメニアを征服すると、115年、本格的にパルティア領へと侵入しました。

北メソポタミアから南メソポタミアへ進撃し、ティグリス・ユーフラテス川流域の重要都市を次々占領。

パルティアの首都クテシフォンも陥落させます。

トラヤヌスは、ここをメソポタミア属州やアッシリア属州に再編し、ローマ領を東へ大きく拡張しました。

これにより、ローマ帝国は、史上最大の領土を達成します。

征服は長続きせず

ハドリアヌス
ハドリアヌス

しかし、トラヤヌスの死後、メソポタミアで反乱が相次ぎます。

トラヤヌスの跡を継いだハドリアヌスは、統治困難と判断し、すべての東方領土(アルメニア、メソポタミア、アッシリア属州)から撤退しました。

これにより、トラヤヌス期の拡大領土は長続きしませんでした。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

ローマ帝国で最大領土を得たのは誰?

トラヤヌス帝です。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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