語呂合わせ
遂に(212)与えたローマ市民権、アントニヌス勅令
カラカラ帝は、アントニヌス勅令を発布して、ローマ帝国内の全自由民にローマ市民権を与えました。
これにより、イタリアと属州の区別がなくなり、帝国の一体化が進みましたが、同時に地方軍団の独立傾向も強まる結果となりました。
目次
カラカラ帝とはどんな人物か?
カラカラ帝は、ローマ帝国の皇帝セプティミウス=セウェルスの息子です。
父の死後、弟ゲタとの共同統治を始めましたが、後にゲタを殺害し、単独支配を確立しました。
冷酷で苛烈な性格で知られ、数々の粛清や軍事行動を行いました。
ローマ市民権とは
ローマ市民権は、都市国家ローマの市民が持っていた特別な権利で、様々な法的保護を受けられました。
しかし、征服地(属州)には市民権のない人々が多く存在していました。
イタリア半島と属州とを区別せず
アントニヌス勅令以前は、イタリア半島出身者と属州民との間には明確な身分差がありました。
しかし、アントニヌス勅令を出して、帝国内の全自由民にローマ市民権を与えると、イタリア半島と属州との区別がなくなりました。
これにより、ローマ帝国は「すべての民がローマ市民」という新たな時代に入ります。
カラカラ帝は、増税による軍事力強化の必要性から、アントニヌス勅令を出したといわれています。
地方軍団の暴走へ
一方で、ローマ市民権の普及は副作用も生みました。
アントニヌス勅令によって、イタリアの権威が低下すると、地方の軍団の地位も相対的に高まりました。
これが、のちに地方軍団が勝手に皇帝を擁立する軍人皇帝時代を引き起こすことになります。
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