220年 魏の建国

曹丕
魏の文帝 曹丕
語呂合わせ

つづれ(220)三国、の建国(三国時代の始まり)

曹丕そうひ文帝ぶんてい)は、後漢の献帝けんていから禅譲ぜんじょうを受け、を建国しました。洛陽らくようを都としました。

禅譲とは、皇帝の位が平和的に有徳者に譲られることをいいます。しかし、実際には無理やり行われる簒奪に近い事例が多かったです。

魏で行われた制度には、屯田制とんでんせい九品中正きゅうひんちゅうせいがあります。

目次

屯田制 ― 兵士の補給と税収の確保

屯田制とんでんせいは、兵士や流民に土地を支給する制度です。

兵士に土地を与えて食料を自給させる軍屯ぐんとんと、流民に荒れ地を耕作させる民屯みんとんがあります。

九品中正 ― 門閥貴族の形成を招く

九品中正きゅうひんちゅうせいとは、中央から任命された中正官ちゅうせいかんが地方の人材を9つの等級に分けて推薦した制度です。

一番上の等級が一品いっぴん、一番下の等級が九品きゅうひんです。

九品中正は、後漢の衰退の原因の1つである郷挙里選きょうきょりせんにかえて始められた官吏かんり登用制度です。

郷挙里選は、前漢ぜんかん武帝ぶていが創始しました。

しかし、有力な豪族が高級官職を独占したため、門閥もんばつ貴族が形成されるきっかけになりました。

門閥貴族とは、高級官職を独占した貴族のことをいいます。

上品に寒門なく、下品に勢族なし

九品中正は、実力重視の人材登用を目指していましたが、有力な豪族が上級官職を独占したため、家柄重視の人材登用になってしまいました。

この状況を皮肉って、「上品じょうひん寒門かんもんなく、下品かひん勢族せいぞくなし」といわれました。

「高級官職に庶民はなく、下級官職に豪族はない」という意味です。

後に成立したずい王朝では、この九品中正を廃止して、科挙かきょを採用しました。

目次