増やし(284)た皇帝、ディオクレティアヌスの即位
ローマ帝国のディオクレティアヌス帝は、284年に即位したのち、帝国を4分割し、2人の正帝と2人の副帝で治める
また、専制君主政(ドミナートゥス)を確立させ、皇帝の独裁体制を築きました。
この記事では、ディオクレティアヌス帝について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
最後の軍人皇帝、ディオクレティアヌス
235年のマクシミヌス帝の即位以降、ローマ帝国は軍人皇帝時代に入り、地方軍団が擁立した皇帝(軍人皇帝)が次々に現れる混乱期となりました。

この状況の中で、284年にローマ軍が皇帝の推戴したのが、親衛隊長であったディオクレティアヌスです。
ディオクレティアヌスは、最後の軍人皇帝にして、軍人皇帝時代を終わらせた人物と位置付けられています。
彼によって、四分統治と専制君主政が行われ、軍人皇帝時代が終結することになるのです。
四分統治 ― 4人による統治
ディオクレティアヌス帝は、ローマ帝国全土を一人で統治するのは困難であると判断し、
四分統治は、ローマ帝国を東西4つに分けて、それぞれ正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)を置き、4人で統治する制度です。
ディオクレティアヌス自身は、東の正帝となり、広大な帝国の防衛と行政の安定を図りました。
この制度は、324年にコンスタンティヌス帝によって廃止されるまで続きます。
専制君主政 ― 皇帝の独裁体制
ディオクレティアヌス帝は、元老院との共同統治を建前とする元首政を否定し、皇帝の独裁体制である専制君主政(ドミナートゥス)を築きました。
皇帝は、「市民の第一人者(プリンケプス)」ではなく、「君主(ドミヌス)」として振る舞うようになります。

皇帝崇拝の強制
ディオクレティアヌス帝は、ローマの伝統的な多神教を再興し、自らをユピテル神の子としました。
そして、ペルシア風の皇帝崇拝を強化し、皇帝の前で跪く
キリスト教徒の大迫害

しかし、一神教のキリスト教徒は、皇帝崇拝の強制に従いませんでした。
これに対して、ディオクレティアヌス帝は、303年、キリスト教徒に対する大迫害を行いました。
しかし、迫害は上手くいかず、コンスタンティヌス帝の時代にキリスト教は公認されることになります。

自ら退位した異例のローマ皇帝

305年、ディオクレティアヌス帝は、病気を理由に自らローマ皇帝を退位します。
これは、皇帝権を個人ではなく制度として維持しようとした政治的決断であったと考えられています。
引退後は、故郷にディオクレティアヌス宮殿を築き、キャベツ栽培に勤しんだといわれています。
理解を深めるQ&A
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