284年 ディオクレティアヌスの四分統治

ディオクレティアヌス
ディオクレティアヌス
語呂合わせ

増やし(284)た皇帝、四分統治しぶんとうち

ローマ帝国のディオクレティアヌス帝は、帝国を4分割し、2人の正帝と2人の副帝で治める四分統治しぶんとうち四帝分治していぶんちテトラルキア)を始めました。

ディオクレティアヌスは、最後の軍人皇帝として知られています。

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四分統治 ― ローマ帝国を4人で統治

ディオクレティアヌス帝は、ローマ帝国全土を一人で統治するのは困難であると判断し、四分統治しぶんとうち四帝分治していぶんちテトラルキア)を採用しました。

四分統治は、ローマ帝国を東西4つに分けて、それぞれ正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)を置き、4人で統治する制度です。

ディオクレティアヌス自身は、東の正帝につきました。

四分統治制は、324年にコンスタンティヌス帝によって廃止されるまで続きます。

四分統治制が廃止された理由は、複数の皇帝が再統一を狙って相争うようになったためです。

専制君主政 ― 皇帝の独裁体制

ディオクレティアヌス帝は、元老院を無視した皇帝の独裁体制である専制君主政ドミナートゥス)を築きました。

皇帝は、市民の代表(プリンケプス)ではなく、君主(ドミヌス)になりました。

これにより、皇帝と元老院の共同統治が建前であった元首政が崩れることになりました。

皇帝崇拝の強制

ペルシア風の皇帝崇拝を強化し、皇帝自身をユピテル神の子として皇帝の前で跪く拝跪礼を強制しました。

キリスト教徒の大迫害

一神教のキリスト教徒は、皇帝崇拝の強制に従いませんでした。

これに対してディオクレティアヌス帝は、大迫害を行いました。(303年)

この迫害は、ローマ史上、最大にして最後のキリスト教徒迫害です。

しかし、迫害は上手くいかず、コンスタンティヌス帝の時代にキリスト教は公認されることになります。

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