語呂合わせ
増やし(284)た皇帝、
ローマ帝国のディオクレティアヌス帝は、帝国を4分割し、2人の正帝と2人の副帝で治める
235年 軍人皇帝時代の始まり
語呂合わせ 踏み越(235)えて秩序乱す、軍人皇帝時代 軍人皇帝時代とは、ローマのマクシミヌス帝から続く地方軍人が擁立した皇帝(軍人皇帝)が連続する時代のことです…
目次
四分統治 ― ローマ帝国を4人で統治
ディオクレティアヌス帝は、ローマ帝国全土を一人で統治するのは困難であると判断し、
四分統治は、ローマ帝国を東西4つに分けて、それぞれ正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)を置き、4人で統治する制度です。
四分統治制は、324年にコンスタンティヌス帝によって廃止されるまで続きます。
専制君主政 ― 皇帝の独裁体制
ディオクレティアヌス帝は、元老院を無視した皇帝の独裁体制である専制君主政(ドミナートゥス)を築きました。
皇帝は、市民の代表(プリンケプス)ではなく、君主(ドミヌス)になりました。
これにより、皇帝と元老院の共同統治が建前であった元首政が崩れることになりました。
前27年 オクタウィアヌスの元首政(プリンキパトゥス)
語呂合わせ 担(前27)うオクタヴィアヌス、元首政の開始 オクタウィアヌスは、プリンケプス(元首)を自称し、元老院と共同統治を行う元首政(プリンキパトゥス)を行…
皇帝崇拝の強制
ペルシア風の皇帝崇拝を強化し、皇帝自身をユピテル神の子として皇帝の前で跪く拝跪礼を強制しました。
キリスト教徒の大迫害
一神教のキリスト教徒は、皇帝崇拝の強制に従いませんでした。
これに対してディオクレティアヌス帝は、大迫害を行いました。(303年)
しかし、迫害は上手くいかず、コンスタンティヌス帝の時代にキリスト教は公認されることになります。
313年 ミラノ勅令
語呂合わせ 幸先(313)いいぞ、ミラノ勅令 コンスタンティヌス帝は、ミラノ勅令を発布して、すべての宗教の信仰の自由を認め、キリスト教を公認しました。 ミラノ勅令 …