見に来(325)い、ニケーア公会議
コンスタンティヌス帝は小アジアのニケーアでニケーア公会議を開催しました。
この公会議では、「イエスは神」であるとするアタナシウス派が正統、「イエスは人」であるとするアリウス派が異端とされました。
この記事では、ニケーア公会議について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
公認されたキリスト教

313年にコンスタンティヌス帝とリキニウス帝の連名で公布されたミラノ勅令によって、ローマ帝国では、すべての宗教の信仰の自由が認められました。
これにより、これまで迫害されてきたキリスト教が初めて公認されました。

イエスは「神」か

しかし、キリスト教が広がるにつれて、イエスを「神」と捉えるアタナシウス派と、イエスを「人」と捉えるアリウス派に間で対立が起きます。
この対立が、ニケーア公会議開催の直接の背景です。
ニケーア公会議の開催

コンスタンティヌス帝は、教義の分裂が帝国の混乱につながることを恐れ、325年、小アジアのニケーアにキリスト教会の代表を集めて、ニケーア公会議を主催しました。
ここで、「神とイエスは同質かどうか」が話し合われました。
アタナシウス派 ― イエスは神
アタナシウス派は、「イエスは神」であると主張しました。
この立場は、ニケーア公会議で正統と認められました。
この考え方は、のちに「父なる神、子なるイエス、聖霊」を一つのものとする三位一体説へと発展していくことになります。
現在においてもカトリック教会、ギリシア正教会で正統教義となっています。
アリウス派 ― イエスは人
アリウス派は、「イエスは人」(神によって創られた存在)であり、神と同質ではないと主張しました。
この立場は、ニケーア公会議で異端とされました。
その後、アリウス派は、ローマを追われ、西方や北方のゲルマン民族の間で広がるようになりました。
多神教の影響が残るローマ
ニケーア公会議によって、キリスト教の教義は一定の統一を見ましたが、当時のローマでは依然として多神教の影響が強く残っていました。
また、帝国の重心が商業が活発な東方に移っていたことから、コンスタンティヌス帝は、コンスタンティノープルへの遷都を決断することになります。

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