皆GO(375)、ゲルマン民族の大移動
ゲルマン人の一派である西ゴート人は、フン人の圧迫を受けて南下を開始し、ドナウ川を越えてローマ帝国に侵入しました。
これが、ゲルマン民族の大移動の始まりです。
この記事では、ゲルマン民族の大移動について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
弱体化する西ローマ
ローマ帝国の首都が、西のローマから東のコンスタンティノープルに遷る中、政治・経済・軍事の中心が東方へ移動しました。
それに伴い、西ローマの防衛力は低下していきます。

フン人の西進

4世紀後半、中央アジアの遊牧民であるフン人が西方へ進出しました。
その背景には、人口増加や気候変動による放牧地不足があったと考えられています。
フン人の進出により、東ヨーロッパに居住していたゲルマン民族は圧迫され、次々と移動を余儀なくされました。
征服される東ゴート人
フン人は、まず黒海北岸の東ゴート人を征服すると、さらに西進して、黒海西岸にいた西ゴート人をも圧迫するようになります。
ゲルマン民族とは
ここでゲルマン民族について整理しておきます。
ゲルマン民族は、インド=ヨーロッパ語族のうちゲルマン語派を話す諸部族の総称です。
ゲルマン民族には、西ゴート人、東ゴート人、ヴァンダル人、フランク人、アングル人、サクソン人などがいました。
古ゲルマン人
ゲルマン民族の大移動前のゲルマン人のことを古ゲルマン人といいます。
彼らは北海やバルト海沿岸に住んでおり、ケルト人を圧迫しながら西に勢力を拡大し、紀元前後にはローマと境を接するようになります。
この時代のゲルマン人については、カエサルの『ガリア戦記』や、タキトゥスの『ゲルマニア』が重要な史料として知られています。
ゲルマン人の社会
ゲルマン人の社会では、キウィタスと呼ばれる部族国家が形成され、貴族、平民、奴隷の身分制度がありました。
また、民会を最高決定機関としました。
従士制
ゲルマン人社会では、貴族が平民を保護する代わりに忠誠を誓わせ、従士として配下の兵士とする制度が見られました。
これを従士制といいます。
従士制は、のちの中世ヨーロッパにおける封建制の原型とされています。
ゲルマン民族の大移動
375年、西ゴート人は、フン人の圧迫から逃れるため、移動を開始します。
これが、ゲルマン民族の大移動の始まりです。
その後、ドナウ川を越えてローマ帝国領内に入り、移住し始めました。
アドリアノープルの戦い
しかし、西ゴート人は、ローマ軍の指揮官と食料の受け渡しを巡り対立、反乱を起こします。
そして、378年、アドリアノープルの戦いにおいて、ローマ軍を撃破し、皇帝のウァレンスを戦死させました。
この戦いの結果は、ローマ帝国の軍事的優位が失われたことを象徴する出来事でした。
ローマ皇帝の権威が失墜
ゲルマン民族の大移動によってローマ帝国が動揺する中、皇帝の権威だけでは統治が困難になっていきます。
そこで、帝国を精神的に統合する思想としてキリスト教が重視され、テオドシウス帝によって国教化されていくことになります。

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