392年 キリスト教の国教化

テオドシウス帝
テオドシウス帝
語呂合わせ

御国みくに(392)を守れ、キリスト教の国教化

テオドシウス帝は、ローマ帝国内において、アタナシウス派キリスト教国教とし、異教の信仰を禁止しました。

これにより、キリスト教はローマ帝国唯一の公式の宗教としての地位を確立します。

この記事では、キリスト教の国教化について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

失墜する皇帝の権威

4世紀後半、ゲルマン民族の大移動が進む中、378年のアドリアノープルの戦いにおいてローマ軍は西ゴート人に敗れ、皇帝のウァレンスが戦死しました。

この出来事は、ローマ皇帝の軍事的・政治的権威が大きく揺らいだことを象徴しています。

その後、ウァレンスの後を継いでテオドシウスが、ローマ皇帝になると、帝国の動揺を抑えるため、新たな精神的支柱としてキリスト教を重視するようになります。

キリスト教がローマの宗教に

テオドシウス帝は、392年、キリスト教をローマ帝国の宗教(国教)と定め、異端や異教の信仰は禁止されました。

アタナシウス派キリスト教が国教となることで、皇帝がキリスト教の支配者であり保護者としての立場を持つようになりました。

多神教の禁止

異教信仰の禁止により、ローマの伝統的な多神教信仰も禁止され、伝統的な神殿の多くが破壊、あるいは、キリスト教の教会に転用されるようになりました。

また、古代ギリシア以来続いていたオリンピアの祭典も異教信仰として禁止されました。

西洋がキリスト教中心の社会に変化

テオドシウス帝のキリスト教の国教化によって、キリスト教は、ヨーロッパ文明の中心的な存在となり、西洋社会は次第にキリスト教を基盤とする社会へと変化していきます。

ローマ帝国の東西分裂へ

テオドシウス帝の死後、2人の息子が東西の皇帝となって、ローマ帝国は分裂の道を歩み始めることになります。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

ローマ帝国はなぜキリスト教を国教化したの?

ローマ帝国の統合を図り、皇帝権威と結びつくキリスト教を精神的主柱としようとしたためです。

オリンピアの祭典はなぜ禁止されたの?

キリスト教の国教化により、異教信仰と見なされたためです。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

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年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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