40年 徴姉妹の反乱

象に乗って戦う徴姉妹
語呂合わせ

弱(40)ったチュン姉妹の反乱

光武帝こうぶていの時代に後漢王朝に対する反乱であるチュン姉妹の反乱が、交趾こうし郡(現在のベトナム北部)で発生しました。

反乱の鎮圧後、ベトナムの中国化が進みました。

この記事では、徴姉妹の反乱について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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反乱の背景

前漢の時代から、ベトナム北部は中国の支配下に置かれていました。

漢は現地に官僚を派遣し、税の取り立てや中国式の制度を強制したため、現地の人々の不満が高まっていました。

徴姉妹の挙兵

そうした状況の中、地元の有力者の娘であるチュンチャクチュンの姉妹が、新税に抗議して立ち上がりました。

二人の呼びかけに多くの人々が応じ、反乱は交趾郡を中心に広い範囲へと拡大しました。

これが、チュン姉妹の反乱です。

反乱の鎮圧

後漢光武帝こうぶていは将軍の馬援ばえんをを派遣し、反乱を鎮圧しました。

徴姉妹はその後、処刑されたと伝えられています。

反乱後のベトナム

鎮圧後、後漢はベトナムへの支配をさらに強め、中国の文化や制度が広まる中国化が進みました。

ベトナムのジャンヌ=ダルク

チュン姉妹は、「ベトナムのジャンヌ=ダルク」ともいわれ、現在もベトナムで民族的英雄として称えられています。

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