死闘(410年)、ローマの略奪
西ゴート人の王アラリックは、西ローマ帝国に侵入し、ローマを占領して略奪を行いました。
この事件は、「永遠の都」と称されたローマが外敵によって陥落した出来事として、大きな衝撃を与えました。
この記事では、410年のローマ略奪について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
ローマ帝国の東西分裂
テオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分裂しました。
長子アルカディウスが東ローマ帝国を、次子ホノリウスが西ローマ帝国を統治します。
この分裂は一時的なものではなく、以後、東西は別個の皇帝のもとで統治されることになります。

西ローマ帝国の弱体化
次子ホノリウスが継いだ西ローマ帝国は、経済力や税収に乏しい地域が中心である一方、広大な国境線の防衛を担わされていました。
そのため、十分な軍事力を維持できず、ゲルマン人傭兵への依存が進み、皇帝の権力も不安定になりました。
こうして、西ローマ帝国は、政治的・軍事的に急速に弱体化していきました。
西ゴート人との関係悪化
テオドシウス帝の時代、西ゴート人はローマ帝国と同盟関係を結び、帝国内に居住していました。
しかし、テオドシウス帝の死とローマ帝国の分裂によってこの関係は形骸化し、西ゴート人と西ローマ帝国の間には不信と対立が深まっていきます。
西ゴート人の王アラリック

西ゴート人の王アラリックは、ローマ帝国内での安定した定住の保障や待遇改善を求めて交渉を重ねました。
しかし、西ローマ帝国はこれに十分に応えることができず、アラリックは次第に武力による圧力へと方針を転換していきます。
「永遠の都」ローマの陥落
410年、西ゴート人の王であるアラリックは、西ローマ帝国に要求を受け入れさせるため、ローマを包囲しました。
交渉が決裂すると、西ゴート軍は市内に突入し略奪を行います。
ローマは「永遠の都」と称され、約800年もの間、本格的な外敵の侵入を受けてこなかったため、帝国内外に大きな衝撃を与えました。
対立から共存へ
ローマ略奪後、西ゴート人はローマとの対立から共存へと方針を転換します。
その後、ガリア南西部への定住を認められることで、西ゴート王国の建国へと繋がっていくのです。

