418年 西ゴート王国の建国

ワリア
西ゴート王国の初代の王 ワリア
語呂合わせ

良い輪(418)広げ、西ゴート王国の建国

西ゴート人は、ローマ略奪のあと、イタリアを離れ、南ガリア(南フランス)に定住し西ゴート王国を建国しました。

この王国は、ローマ帝国の同盟国として成立した最初期のゲルマン王国の一つです。

この記事では、西ゴート王国の建国について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

ローマ略奪から共存へ

410年のローマ略奪の後、西ゴート人の王アラリックが急死しました。

これを契機に、西ゴート人はローマ帝国と対立を続けるのではなく、共存を目指す方針に転換しました。

ローマ帝国の同盟者 ― 西ゴート王国

ワリア
西ゴート王国の初代の王 ワリア

西ローマ帝国のホノリウス帝は、西ゴート人を南ガリア(南フランス)に定住することを認めました。

こうして、418年、西ゴート王国が成立しました。

初代の王はワリア、都はトロサに置かれました。

定住を許可したのは、西ローマ帝国が西ゴート王国を軍事的な同盟者として利用したいとの思惑がありました。

ヴァンダル人の討伐

西ゴート王国が成立すると、西ローマ帝国の要請を受けて、ヴァンダル人の討伐に従事しました。

その結果、ガイセリック率いるヴァンダル人は、イベリア半島アンダルシア地方から追い出され、北アフリカに逃れることになります。

このように、西ゴート王国は、ローマ帝国の代理戦争を行う存在でもありました。

カタラウヌムの戦い

アッティラ
アッティラ大王

451年、フン人アッティラ大王が、西ヨーロッパに侵攻すると、西ゴート王国西ローマ帝国と連合して、これを迎え撃ちました。

このカタラウヌムの戦いでは、西ゴート王国の国王が戦死しつつも、連合軍はアッティラ大王を撃退することに成功しました。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

西ゴート人がローマ略奪の後、共存の道を選んだのはなぜですか?

西ローマ帝国によって南ガリアに定住することが認められたためです。

西ローマ帝国が西ゴート人に定住を許可したのはなぜですか?

西ゴート人を軍事的な同盟者として利用しようとしたためです。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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