420年 宋の建国

劉裕
劉裕
語呂合わせ

世に例(420)となる、宋の建国

東晋とうしんに仕えていた劉裕りゅうゆうは、朝廷を掌握し東晋の皇帝から禅譲ぜんじょうされ、そうを建国し、自らが皇帝となりました。

都は、建康けんこうに置かれました。

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劉裕 ― 軍人から皇帝に

劉裕は、もともと寒門(庶民出身)の軍人でしたが、次第に実権を握り、最後には東晋の皇帝から禅譲を受けて皇帝の位に就きました。

宋の順帝と倭王武

478年、日本の倭王が、順帝じゅんていに使者を送り、自国の力をアピールする上表文を提出しました。

順帝は、宋の第8代(最後の)皇帝です。

その結果、宋は倭王武に対し、「安東大将軍あんとうだいしょうぐん倭王」という称号を授けました。

この外交の背景には、ヤマト政権が朝鮮半島や国内の豪族に対し、王権の正当性を強調する目的があったと考えられています。

倭王武は『日本書紀』などに登場する雄略ゆうりゃく天皇とされる人物です。

宋から斉へ

順帝は、南朝宋の最後の皇帝で、実権は臣下の蕭道成しょうどうせいが握っていました。

その後、順帝は蕭道成に禅譲し、宋は滅亡します。

そして、蕭道成によって、せいが建国されることになります。

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