429年 ヴァンダル王国の建国

ガイセリック
ガイセリック
語呂合わせ

寄り付く(429)所はアフリカか、ヴァンダル王国の建国

ヴァンダル人の王ガイセリックは、北アフリカに進出し、カルタゴを拠点とするヴァンダル王国を建国しました。

この記事では、ヴァンダル王国の建国について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

スポンサーリンク
目次

ヴァンダル人の移動

ヴァンダル人は、もともと中央ヨーロッパに住んでいたゲルマン民族です。

フン人の圧迫やローマ帝国の衰退に伴い、西方への移動を開始しました。

彼らは、イベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)へ移動し、一時的にイベリアに領土を築きました。

イベリア半島南部のアンダルシア地方は、「ヴァンダルの国」が語源です。

北アフリカへの進出

しかし、イベリア半島では西ゴート人との争いが激化したため、ヴァンダル王ガイセリックは、新たな拠点を求めました。

ガイセリックは、ヴァンダル人を率いてジブラルタル海峡を渡り、北アフリカのローマ帝国領へと侵入しました。

当時のローマ帝国は内乱やゲルマン民族への対応に追われており、ヴァンダル人の進出を阻止できませんでした。

カルタゴ占領と王国の成立

ヴァンダル人は、ローマ帝国の重要都市カルタゴ(現在のチュニジア)を占領し、ヴァンダル王国を建国しました。

カルタゴは、ローマ帝国のアフリカ属州の中心都市であり、ここを拠点とすることでヴァンダル王国は強大な海軍力を持つようになりました。

ローマ略奪(455年)

ローマ略奪
ローマを略奪するガイセリック王

ヴァンダル王国は、西地中海で制海権を握り、455年にはガイセリックの指揮のもとローマ略奪を行いました。

ローマ略奪が行われたのは、西ローマ帝国の皇女との婚姻が、皇帝の交代によって破棄されたためです。

この出来事は、410年の西ゴート人によるローマ略奪と並び、西ローマ帝国衰退を象徴する事件です。

この略奪の印象から「ヴァンダリズム(Vandalism、破壊行為)」という言葉が生まれました。

滅亡 ― ユスティニアヌスの遠征

ガイセリック率いるヴァンダル王国は、地中海の制海権を握って最盛期を迎えました。

しかし、ガイセリックの死後は内紛や統治力の低下によって衰退します。

そして、533年にユスティニアヌス帝の遠征軍によって滅亡しました。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

ヴァンダル王国はなぜローマ略奪を行ったのですか?

西ローマ帝国の皇女との婚姻による同盟関係が、皇帝の交代によって一方的に破棄され、関係が悪化したためです。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
スポンサーリンク
目次