431年 エフェソス公会議

エフェソス公会議
エフェソス公会議

「Philippe Alès」による作品(CC BY-SA 3.0)をトリミングして使用

語呂合わせ

余罪(431)あり、エフェソス公会議

東ローマ皇帝が開催したエフェソス公会議によって、イエスの神性と人性を完全に分離するネストリウス派キリスト教異端とされました。

公会議とは、キリスト教の宗教会議のことをいいます。

目次

キリストの神性と人性

コンスタンティノープル総主教のネストリウスは、イエス=キリストの神性(神の部分)と人性(人の部分)を明確に分けました。

そして、聖母マリアは「神の母」ではなく、「キリストの母」であると主張しました。

これに対し、アレクサンドリア総主教のキュリロスは、キリストの神性と人性は不可分であり、マリアは「神の母」と呼ぶべきであると主張しました。

この論争が激化し、東ローマ皇帝テオドシウス2世は、エフェソス公会議の開催を決定しました。

ネストリウス派の排斥

公会議の結果、ネストリウス派は、異端とされました。

異端とされたネストリウス派は、ササン朝ペルシアに亡命し、中央アジアや中国で布教を行いました。

ネストリウス派キリスト教は、中国では景教と呼ばれました。

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