592年 崇峻天皇の暗殺

蘇我馬子
蘇我馬子
語呂合わせ

ごく普(592)通に、崇峻すしゅん天皇の暗殺

蘇我馬子そがのうまこに擁立された崇峻すしゅん天皇は、馬子と反目し、馬子の手先であった東漢直駒やまとのあやのあたいのこまに暗殺されました。

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崇峻天皇とは

崇峻すしゅん天皇泊瀬部皇子はつせべのおうじ)は、欽明きんめい天皇の子です。

丁未ていびの乱で、蘇我馬子物部守屋もののべのもりやを滅ぼした後、用明ようめい天皇の急死を受けて即位することになりました。

蘇我馬子の後押し

崇峻すしゅん天皇の即位は、蘇我馬子の強い後押しによるものでした。

馬子は自分の都合の良い天皇を立てることで、政治的主導権を握ろうと考えていたのです。

崇峻天皇は、蘇我馬子の娘の夫でした。

しかし、次第に天皇と蘇我馬子の関係は悪化し、崇峻天皇は蘇我氏に対して反感を抱くようになったとされています。

暗殺のきっかけ

『日本書紀』によると、ある日、崇峻すしゅん天皇のもとに猪の頭が献上されました。

その時、天皇は猪の頭を見ながら「いつかこの猪の首を斬るように、朕が憎いと思う者を斬ってやりたいものだ」と発言したとされています。

この発言が蘇我馬子の耳に入ると、馬子は「天皇は自分のことを憎んでいる」と解釈し、強い危機感を抱きました。

暗殺の実行犯「東漢直駒」

そこで、蘇我馬子は配下の東漢直駒やまとのあやのあたいのこまに命じて、崇峻すしゅん天皇を殺害させました。

その後、直駒は、馬子によって口封じのため殺害されたとされています。

崇峻天皇は、唯一の暗殺された天皇です。

推古天皇の即位

推古天皇
推古天皇

崇峻すしゅん天皇の死後、蘇我馬子は姪のとよかしきひめ推古すいこ天皇(日本初の女性天皇)として即位させ、さらに権力を強めました。

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