貞観の治とは、唐の第2代皇帝である李世民(太宗)の治世のことをいいます。
目次
玄武門の変
李淵の次男の李世民は、兄と弟を玄武門の変で殺害し、父親の李淵からも実権を奪いました。
その後、李世民は唐の第2代皇帝として即位しました。
貞観の治
第2代皇帝として即位した李世民(太宗)は、唐の繁栄の時代を築き、貞観の治と称えられました。
律令国家
律令国家とは、律と令によって統治される国のことです。
唐王朝は、律・令・格・式の法制を整備して、それに基づく政治を行いました。
- 律:刑法
- 令:行政法・民法
- 格:律や令の修正法や臨時法
- 式:施行細則
三省六部
三省六部とは、唐の中央官制の基本となる行政組織で、皇帝を補佐し、国家を運営する仕組みです。
三省 — 政策の立案・審議・実行
三省は、詔勅(皇帝の命令)を作成・審議・実行する機関です。
- 中書省 — 詔勅の立案
- 門下省 — 詔勅の審議
- 尚書省 — 詔勅の実行
三省の仕組みが、皇帝の独裁を防ぎ、政治のバランスを取っていました。
六部 — 実務を担当
六部は、尚書省の下にある6つの部門で、具体的な行政を担当しました。
- 吏部 — 官僚の管理
- 戸部 — 戸籍・財政の管理
- 礼部 — 外交・教育(科挙試験)の管理
- 兵部 — 軍事の管理
- 刑部 — 司法・法律の管理
- 工部 — 土木・建設の管理
六部は、現在の「各省庁」のような役割を持ち、国家の行政を実際に動かしていました。
御史台
官僚の不正行為を監察するため、御史台と呼ばれる機関が設置されました。
科挙の整備
科挙は、官僚を選ぶための試験制度です。
隋の時代に始まった科挙制度は、唐の時代に本格的に整備されました。
貴族ではなく学問の才能がある者が官僚になれる道を開きました。
科目は、秀才、明経、進士などの6科がつくられました。
均田制
均田制は、農民に土地を均等に分配し、国家が管理する土地制度です。
農業の安定と税収の確保を目的として、5世紀、北魏の時代から始まりました。
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唐の均田制は、口分田(死後返還する必要がある土地)と永業田(世襲できる土地)の2種類がありました。
ただし、官僚には官人永業田(官僚に与えられた世襲できる土地)があったため、貴族の大土地所有の防止の効果は限定的でした。
租庸調制
租庸調制は、土地を与える代わりに、穀物・布・労役で納めさせる制度のことです。
均田制とセットで運用されました。
府兵制
府兵制は、農民を徴兵させる制度です。
均田制とセットで運用されました。
徴兵されたものは租庸調が免除され、一定期間、都の警護や辺境の守備を行いました。
州県制
唐では、隋と同じく地方統治制度として州県制が用いられました。