658年 蝦夷・粛慎の征討

阿倍比羅夫
ヒグマを生け捕る阿倍比羅夫
語呂合わせ

無言でや(658)り抜く、阿倍比羅夫の蝦夷・粛慎の征討

斉明さいめい天皇は、阿倍比羅夫あべのひらふを東北に派遣し、蝦夷えみし粛慎みしはせの征討を行いました。

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斉明天皇と北方政策

658年、女帝・斉明天皇のもと、朝廷は北方への勢力拡大を目指して動きました。

その中核を担ったのが、有力な武将 阿倍比羅夫です。

当時の朝廷は、国内統一を進めるとともに、東北や北海道方面に対しても影響力を強めようとしていました。

阿倍比羅夫の活躍

阿倍比羅夫は、斉明天皇の命を受けて北方遠征を敢行しました。

彼は180隻にも及ぶ船団を率い、日本海を北上し、秋田・津軽地方へと進出します。

この遠征によって、朝廷は北日本との交流・支配の足がかりを築きました。

蝦夷の征討

当時、蝦夷と呼ばれていたのは、東北地方に居住し、朝廷の支配に服さなかった人々です。

阿倍比羅夫は、水軍を率いて日本海側から秋田地方へ到達し、軍事行動を展開。

この地の蝦夷を服属させ、さらに北方へ進出しました。

粛慎の征討

さらに北に進んだ阿倍比羅夫は、北方の異民族である粛慎と交戦します。

粛慎は、北海道や樺太にいたとされる民族です。

比羅夫は、これを打ち破り、多くの戦利品を持ち帰ったと『日本書紀』に記されています。

阿倍比羅夫の遠征によって、日本の朝廷は東北地方への影響を強めました。

しかし、蝦夷や粛慎の完全な支配には至らず、その後も東北地方では独立勢力が存続しました。

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