大宝律令は、文武天皇の時代に刑部親王と藤原不比等が中心になって編纂された、律(刑法)と令(行政法・民法)から成る法典です。
目次
大宝律令とは
大宝律令は、日本初の律と令からなる法典です。
律令政治の基本法となりました。
律とは
律は、刑法のことで、犯罪行為とそれに対する刑罰について定めています。
唐の律をそのまま受容しました。
令とは
令は、行政法や民法のことで、政府の組織や運営について定めています。
唐の令を日本社会の実情に合わせて改変しました。
近江令、飛鳥浄御原令を引き継ぐ
大宝律令は、それ以前に制定された近江令と飛鳥浄御原令を基礎にして編纂されました。
近江令
近江令は、668年に近江大津宮で制定されたとされる法典で、天智天皇の時代に作られました。
しかし、この近江令は現在では内容がほとんど分からず、実在性についても議論があります。
飛鳥浄御原令
飛鳥浄御原令は、681年に天武天皇が制定を命じ、689年に持統天皇によって施行されたこの法典は、大宝律令の前身とも言える存在でした。
飛鳥浄御原令は「令」のみで構成されており、行政に関する規定が中心でした。
法典 | 施行 | 内容 |
---|
近江令 | 天智天皇 | 日本初の法典。内容の詳細は不明。 |
飛鳥浄御原令 | 持統天皇 | 実態がわかっている日本初の法典。 |
大宝律令 | 文武天皇 | 近江令・飛鳥浄御原令を発展させ、日本の律令国家を確立。 |
「律」と「令」が整備
近江令と飛鳥浄御原令は、令(行政法・民法)のみでしたが、大宝律令では律(刑法)と令(行政法・民法)がそろいました。
大宝律令は、唐の律令を参考に作られました。
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文武天皇の治世に制定
大宝律令は、文武天皇の治世に制定されました。
文武天皇は、天武天皇の孫にあたり、697年に即位しました。
若くして即位した文武天皇のもとで、有力な政治家たちが律令制定に尽力しました。
刑部親王と藤原不比等が編纂
大宝律令は、刑部親王と藤原不比等が中心になって編纂されました。
刑部親王
刑部親王は、天武天皇の子です。
皇族としての立場から律令制定の役割を果たしました。
藤原不比等
藤原不比等
藤原不比等は、大化の改新で活躍した藤原鎌足の子です。
法制に精通し、律令制定において中心的な役割を果たしました。
藤原不比等は、のちに大宝律令の改訂版である養老律令も制定します。
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律の内容
律(刑法)には、五刑や八虐がありました。
五刑 — 五つの刑罰
五刑とは、大宝律令の律(刑法)に定められた5種類の刑罰のことです。
儒教の教えに背く行為に対する刑罰が規定されていました。
軽い順に以下のようになっています。
- 笞:むち打ちの刑
- 杖:杖で打つ刑
- 徒:懲役
- 流:流罪
- 死:死刑
八虐 — 八つの重犯罪
八虐とは、特に重い犯罪として定められた8つの罪で、刑の減免の対象外とされました。
令の内容
令では、行政法や民法が定められました。
二官・八省・一台・五衛府
大宝律令では、中央の政治制度が詳細に定められました。
これを、「二官・八省・一台・五衛府」と総称します。
- 二官…神祇官、太政官
- 八省…中務省、式部省、治部省、民部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省
- 一台…弾正台
- 五衛府…五衛府
神祇官
神祇官は、祭祀を担当する役所です。
太政官
太政官は、行政を担当する役所です。
太政官の中で最も地位が高いのが、太政大臣で「則闕の官」といいます。
適任者がいない場合、欠員とされたため、こう言われました。
地位が高い順に、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言、少納言、左弁官・右弁官と続きます。
公卿
公卿とは、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言(のちに中納言と参議も)の高官のことをいいます。
公卿会議
政治上の議題は、公卿会議で議論されました。
その上で、少納言、左弁官、右弁官が事務処理した上で、天皇の裁可を経て各省で実行されました。
令外官
令外官は、令の規定にない官職で、必要に応じて設けられました。
令外官 | 内容 |
---|
中納言 | 大納言に次ぐ官職 |
参議 | 中納言に次ぐ官職 |
太政官の序列をあらためて記載すると次のようになります。
- 太政大臣
- 左大臣
- 右大臣
- 大納言
- 中納言
- 参議
- 少納言
- 左弁官・右弁官
中務省
中務省は、詔勅の起草を担当する役所です。
詔勅とは、天皇が発する公的文書のことです。
式部省
式部省は、文官の人事や教育を担当する役所です。
現代の文部科学省のような役所です。
治部省
治部省は、仏教や外交を扱う役所です。
具体的には、大仏や遣唐使などを扱いました。
民部省
民部省は、戸籍や税務を扱う役所です。
兵部省
兵部省は、軍事を扱う役所です。
現代の防衛省のような役所です。
刑部省
刑部省は、裁判や刑罰を扱う役所です。
大蔵省
大蔵省は、財政を扱う役所です。
現代の財務省のような役所です。
宮内省
宮内省は、天皇のいる宮中の事務を扱う役所です。
弾正台
弾正台は、役人の不正を監視する役所です。
五衛府
五衛府は、都の警備を行う役所です。
衛門府・左右の衛士府・左右の兵衛府から構成されていました。
官位相当制
官位相当制は、位階と官職を対応させる制度です。
官人の序列を示す等級として正一位から少初位までの30の位階に分けられ、その位階に応じて官職が与えられました。
五位以上のものを貴族といいました。
蔭位の制
蔭位の制は、高位の官人の子弟が一定の位階から出発できる制度です。
具体的には、五位以上の者の子と三位以上の者の子と孫は21歳(律令制の成人年齢)になると、自動的に一定の位階が与えられました。
支配階級を再生産する制度として機能しました。
五色の賎
五色の賎とは、5種類の賤民(奴隷身分の人々)のことです。
具体的には、陵戸、官戸、家人、公奴婢、私奴婢の5つを指します。
逆に貴族から一般の農民のことを良民といいます。
陵戸
陵戸は、天皇のお墓を守る人々のことです。
官戸
官戸は、政府所有の奴隷で、官庁などで使役された人々です。
家人
家人は、貴族や豪族に使える人々です。
公奴婢
公奴婢は、国が所有する奴隷のことです。
私奴婢
私奴婢は、個人が所有する奴隷のことです。
五畿七道
大宝律令では地方行政制度も整備されました。
五畿七道(畿内七道)は、全国を13の地域に分ける制度です。
五畿は、大和・山城・河内・摂津・和泉の5か国で、都の周辺地域を指します。
七道は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の7つの地方を指します。
覚え方
『山々と、河、接する泉あり』(五畿の覚え方)
山 = 山城
々と = 大和
河 = 河内
接 = 摂津
泉 = 和泉
国・郡・里制
五畿七道は、国・郡・里の三段階の行政区分により、中央から地方末端までの統一的な支配体制が確立されました。
国には国司、郡には郡司、里には里長が置かれました。
国
国は、中央政府(朝廷)の行政区画です。
国司は、国を統括する者のことで、都から中下級貴族が派遣され任期(6年、のちに4年)がありました。
国司の役所を国府(国衙)といいます。
国府は、現代の県庁にあたります。
郡
郡は、地方豪族の勢力範囲です。
郡司には、在来の地方豪族が任命され、終身官で世襲も認められてました。
郡司の役所を郡家といいます。
里
里は、50戸ごとに組織された行政区画です。
班田や徴税のために設けられました。
里長は、税の取り立てを任務とし、農民の代表者が担当しました。
班田収授法
班田収授法は、すべての土地を国家が所有し、人民に分配する制度です。
具体的には、朝廷が、6歳以上の人民に口分田という田んぼを与え、租という税を徴収するという内容です。
この制度は646年の改新の詔で基本的な枠組みが定められ、大宝律令により詳細な規定が整備されて本格的に施行されました。
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口分田
口分田は、朝廷から与えられる田んぼのことです。
与えられた口分田に対して、租という収穫の約3%の税がかけられました。
口分田は、6年ごとに6歳以上の良民の男には2段、良民の女にはその3分の2(1段120歩)が与えられました。
また、陵戸・官戸・公奴婢には、良民と同じ量の口分田が与えられましたが、家人・私奴婢は良民の3分の1のみの口分田が支給されました。
対象 | 口分田 |
---|
良民の男 | 2段 |
良民の女 | 男の3分の2(1段120歩) |
陵戸・官戸・公奴婢 | 良民の男女と同じ |
家人・私奴婢 | 良民の男女の3分の1 |
覚え方
『女の身分に、寒い奴隷』(班田収授法の口分田)
(女は男の3分の2、奴隷は良民男女の3分の1)
身分に = 3分の2
寒い = 3分の1
租調庸
租調庸(租庸調)は、律令制における税制で、租は田んぼから徴収される税、調は地方特産物を収める税、庸は労役か代わりに布などを納める税です。
租は地方税、調と庸は中央の財源となりました。
覚え方
『添い寝、超特、養老駅の布』(租調庸の内容)
添 = 租
い寝 = 稲
超 = 調
特 = 特産物
養 = 庸
老駅 = 労役
布 = 布
租
租は、口分田の収穫の約3%の稲を納める税です。
調
調は、朝廷が指定した地方特産物を納める税です。
地方特産物としては、絹やあしぎぬ、糸、綿、布などが指定されました。
庸
庸は、都で年10日間の労役もしくは代わりに布や米を納める税です。
庸は、正丁(21歳から60歳までの成人男子)に課せられました。
都から遠い地域に住んでいる人が、都に行くのは現実的ではないので、布や米を納めることで労働の代わりとしました。
雑徭
雑徭は、労役のことです。
国司の下で年60日以内の労働が課せられました。
軍団、衛士、防人
兵役は、地方の軍団、都を守る衛士、九州防衛の防人があります。
軍団
軍団は、国司の管理下にある軍事制度で、正丁(21歳から60歳までの成人男子)の3人に1人が兵役につきました。
のちに健児の制で郡司の子弟を兵士にする制度に切り替わることになります。
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衛士
衛士は、都の警備に1年間従事する制度です。
左右の衛士府などで働きました。
防人
防人は、九州北部沿岸の防衛に3年間従事する制度です。
律令国家 成る
律令国家とは、律と令によって統治される国のことです。
日本は、大宝律令によって、律令国家としての体制が確立しました。