701年 大宝律令の制定

文武天皇
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語呂合わせ

なまる人(701)にも大宝律令たいほうりつりょう

大宝律令たいほうりつりょうは、文武もんむ天皇の時代に刑部親王おさかべしんのう藤原不比等ふじわらのふひとが中心になって編纂された、りつ(刑法)とりょう(行政法・民法)から成る法典です。

目次

大宝律令とは

大宝律令たいほうりつりょうは、日本初のりつりょうからなる法典です。

律令政治の基本法となりました。

律とは

りつは、刑法けいほうのことで、犯罪行為とそれに対する刑罰について定めています。

唐の律をそのまま受容しました。

令とは

りょうは、行政法や民法のことで、政府の組織や運営について定めています。

唐の令を日本社会の実情に合わせて改変しました。

近江令、飛鳥浄御原令を引き継ぐ

大宝律令たいほうりつりょうは、それ以前に制定された近江令おうみりょう飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうを基礎にして編纂されました。

近江令

近江令は、668年に近江大津宮で制定されたとされる法典で、天智天皇の時代に作られました。

しかし、この近江令は現在では内容がほとんど分からず、実在性についても議論があります。

飛鳥浄御原令

飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうは、681年に天武てんむ天皇が制定を命じ、689年に持統じとう天皇によって施行されたこの法典は、大宝律令の前身とも言える存在でした。

飛鳥浄御原令は「令」のみで構成されており、行政に関する規定が中心でした。

法典施行内容
近江令おうみりょう天智てんじ天皇日本初の法典。内容の詳細は不明。
飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう持統じとう天皇実態がわかっている日本初の法典。
大宝律令たいほうりつりょう文武もんむ天皇近江令・飛鳥浄御原令を発展させ、日本の律令国家を確立。

「律」と「令」が整備

近江令と飛鳥浄御原令は、りょう(行政法・民法)のみでしたが、大宝律令たいほうりつりょうではりつ(刑法)とりょう(行政法・民法)がそろいました。

大宝律令は、唐の律令を参考に作られました。

文武天皇の治世に制定

大宝律令たいほうりつりょうは、文武もんむ天皇の治世に制定されました。

文武天皇は、天武てんむ天皇の孫にあたり、697年に即位しました。

若くして即位した文武天皇のもとで、有力な政治家たちが律令制定に尽力しました。

刑部親王と藤原不比等が編纂

大宝律令たいほうりつりょうは、刑部親王おさかべしんのう藤原不比等ふじわらのふひとが中心になって編纂されました。

刑部親王

刑部親王おさかべしんのうは、天武てんむ天皇の子です。

皇族としての立場から律令制定の役割を果たしました。

藤原不比等

藤原不比等
藤原不比等

藤原不比等ふじわらのふひとは、大化の改新で活躍した藤原鎌足ふじわらのかまたりの子です。

法制に精通し、律令制定において中心的な役割を果たしました。

律の内容

りつ(刑法)には、五刑ごけい八虐はちぎゃくがありました。

五刑 — 五つの刑罰

五刑ごけいとは、大宝律令のりつ(刑法)に定められた5種類の刑罰のことです。

儒教の教えに背く行為に対する刑罰が規定されていました。

軽い順に以下のようになっています。

  • :むち打ちの刑
  • じょう:杖で打つ刑
  • :懲役
  • :流罪
  • :死刑

八虐 — 八つの重犯罪

八虐はちぎゃくとは、特に重い犯罪として定められた8つの罪で、刑の減免の対象外とされました。

令の内容

りょうでは、行政法や民法が定められました。

二官・八省・一台・五衛府

大宝律令では、中央の政治制度が詳細に定められました。

これを、「二官にかん八省はっしょう一台いちだい五衛府ごえふ」と総称します。

  •  二官…神祇官、太政官
  •  八省…中務省、式部省、治部省、民部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省
  •  一台…弾正台
  • 五衛府…五衛府

神祇官

神祇官じんぎかんは、祭祀さいしを担当する役所です。

太政官

太政官だいじょうかんは、行政を担当する役所です。

太政官の中で最も地位が高いのが、太政大臣だいじょうだいじんで「則闕そっけつかん」といいます。

適任者がいない場合、欠員とされたため、こう言われました。

地位が高い順に、太政大臣左大臣さだいじん右大臣うだいじん大納言だいなごん少納言しょうなごん左弁官さべんかん右弁官うべんかんと続きます。

公卿

公卿くぎょうとは、太政大臣左大臣右大臣大納言(のちに中納言参議も)の高官のことをいいます。

公卿会議

政治上の議題は、公卿くぎょう会議で議論されました。

その上で、少納言、左弁官、右弁官が事務処理した上で、天皇の裁可を経て各省で実行されました。

令外官

令外官りょうげのかんは、りょうの規定にない官職で、必要に応じて設けられました。

令外官内容
中納言大納言に次ぐ官職
参議中納言に次ぐ官職

太政官の序列をあらためて記載すると次のようになります。

  1. 太政大臣だいじょうだいじん
  2. 左大臣
    さだいじん
  3. 右大臣
    うだいじん
  4. 大納言
    だいなごん
  5. 中納言ちゅうなごん
  6. 参議さんぎ
  7. 少納言
    しょうなごん
  8. 左弁官さべんかん右弁官うべんかん

中務省

中務省なかつかさしょうは、詔勅しょうちょくの起草を担当する役所です。

詔勅とは、天皇が発する公的文書のことです。

式部省

式部省しきぶしょうは、文官の人事や教育を担当する役所です。

現代の文部科学省のような役所です。

治部省

治部省じぶしょうは、仏教や外交を扱う役所です。

具体的には、大仏遣唐使などを扱いました。

民部省

民部省みんぶしょうは、戸籍や税務を扱う役所です。

兵部省

兵部省ひょうぶしょうは、軍事を扱う役所です。

現代の防衛省のような役所です。

刑部省

刑部省ぎょうぶしょうは、裁判や刑罰を扱う役所です。

大蔵省

大蔵省おおくらしょうは、財政を扱う役所です。

現代の財務省のような役所です。

宮内省

宮内省くないしょうは、天皇のいる宮中の事務を扱う役所です。

弾正台

弾正台だんじょうだいは、役人の不正を監視する役所です。

五衛府

五衛府ごえふは、都の警備を行う役所です。

衛門府えもんふ・左右の衛士府えじふ・左右の兵衛府ひょうえふから構成されていました。

官位相当制

官位相当制かんいそうとうせいは、位階と官職を対応させる制度です。

官人の序列を示す等級として正一位から少初位までの30の位階に分けられ、その位階に応じて官職が与えられました。

五位以上のものを貴族といいました。

蔭位の制

蔭位おんいの制は、高位の官人の子弟が一定の位階から出発できる制度です。

具体的には、五位以上の者の子と三位以上の者の子と孫は21歳(律令制の成人年齢)になると、自動的に一定の位階が与えられました。

支配階級を再生産する制度として機能しました。

五色の賎

五色ごしきせんとは、5種類の賤民せんみん(奴隷身分の人々)のことです。

具体的には、陵戸りょうこ官戸かんこ家人けにん公奴婢くぬひ私奴婢しぬひの5つを指します。

逆に貴族から一般の農民のことを良民りょうみんといいます。

陵戸

陵戸りょうこは、天皇のお墓を守る人々のことです。

官戸

官戸かんこは、政府所有の奴隷で、官庁などで使役された人々です。

家人

家人けにんは、貴族や豪族に使える人々です。

公奴婢

公奴婢くぬひは、国が所有する奴隷のことです。

私奴婢

私奴婢しぬひは、個人が所有する奴隷のことです。

五畿七道

大宝律令では地方行政制度も整備されました。

五畿ごき七道しちどう畿内きない七道しちどう)は、全国を13の地域に分ける制度です。

五畿ごきは、大和やまと山城やましろ河内かわち摂津せっつ和泉いずみの5か国で、都の周辺地域を指します。

七道は、東海道とうかいどう東山道とうさんどう北陸道ほくりくどう山陰道さんいんどう山陽道さんようどう南海道なんかいどう西海道さいかいどうの7つの地方を指します。

覚え方

『山々と、河、接する泉あり』(五畿の覚え方)

 山 = 山城やましろ

々と = 大和やまと

 河 = 河内かわち

 接 = 摂津せっつ

 泉 = 和泉いずみ

国・郡・里制

五畿七道は、こくぐんの三段階の行政区分により、中央から地方末端までの統一的な支配体制が確立されました。

国には国司こくし、郡には郡司ぐんじ、里には里長りちょうが置かれました。

こくは、中央政府(朝廷)の行政区画です。

国司こくしは、国を統括する者のことで、都から中下級貴族が派遣され任期(6年、のちに4年)がありました。

国司の役所を国府こくふ国衙こくが)といいます。

国府は、現代の県庁にあたります。

ぐんは、地方豪族の勢力範囲です。

郡司ぐんじには、在来の地方豪族が任命され、終身官で世襲も認められてました。

郡司の役所を郡家ぐうけといいます。

は、50戸ごとに組織された行政区画です。

班田や徴税のために設けられました。

里長りちょうは、税の取り立てを任務とし、農民の代表者が担当しました。

班田収授法

班田収授法はんでんしゅうじゅほうは、すべての土地を国家が所有し、人民に分配する制度です。

具体的には、朝廷が、6歳以上の人民に口分田くぶんでんという田んぼを与え、という税を徴収するという内容です。

この制度は646年の改新かいしんみことのりで基本的な枠組みが定められ、大宝律令により詳細な規定が整備されて本格的に施行されました。

口分田

口分田くぶんでんは、朝廷から与えられる田んぼのことです。

与えられた口分田に対して、という収穫の約3%の税がかけられました。

口分田は、6年ごとに6歳以上の良民のには2段、良民のにはその3分の2(1段120歩)が与えられました。

また、陵戸りょうこ官戸かんこ公奴婢くぬひには、良民と同じ量の口分田が与えられましたが、家人けにん私奴婢しぬひは良民の3分の1のみの口分田が支給されました。

対象口分田
良民の男2段
良民の女男の3分の2(1段120歩)
陵戸りょうこ官戸かんこ公奴婢くぬひ良民の男女と同じ
家人けにん私奴婢しぬひ良民の男女の3分の1
覚え方

『女の身分に、寒い奴隷』(班田収授法の口分田)

(女は男の3分の2、奴隷は良民男女の3分の1)

身分に = 3分の2

 寒い = 3分の1

租調庸

租調庸租庸調)は、律令制における税制で、は田んぼから徴収される税、調は地方特産物を収める税、は労役です。

律令国家 成る

律令国家りつりょうこっかとは、りつりょうによって統治される国のことです。

  • :刑法
  • :行政法・民法

日本は、大宝律令たいほうりつりょうによって、律令国家としての体制が確立しました。

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