708年 和同開珎の鋳造

和同開珎
和同開珎

「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」(和同開珎)を加工して作成

語呂合わせ

名を焼(708)く、和同開珎わどうかいちんの鋳造

覚え方

708年の和同開珎わどうかいちんは、958年の乾元大宝けんげんたいほうの「250年前」である。


  • 708年 和同開珎(最初の皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん
  • 958年 乾元大宝(最後の皇朝十二銭)

和同開珎わどうかいちんは、元明げんめい天皇の時代に、武蔵国むさしのくに秩父郡ちちぶぐんで銅が発見されたことがきっかけで鋳造された銅銭どうせんです。

目次

和同開珎とは

和同開珎わどうかいちんは、708年(和銅わどう元年)に鋳造が開始された貨幣です。

この銅銭は、中央に正方形の穴が開いた円形の形状をしており、表面には「和同開珎」の4文字が刻まれています。

富本銭の発見

なお、従来、日本最古の貨幣は和同開珎とされてきましたが、1999年の飛鳥池遺跡あすかいけいせきの発掘調査により、683年頃に「富本銭ふほんせん」が鋳造されていたことが明らかになり、現在では富本銭が日本最古の貨幣とされています。

きっかけは銅の発見

和同開珎鋳造のきっかけとなったのは、武蔵国むさしのくに秩父郡ちちぶぐん(現在の埼玉県秩父市周辺)での銅の発見でした。

708年、この地域で良質な銅が発見されたことが朝廷に報告され、これを機に和同開珎の鋳造が決定されました。

元明天皇

元明天皇
元明天皇

和同開珎の鋳造を命じたのは、元明げんめい天皇です。

元明天皇は、夫である草壁皇子くさかべのおうじの死後、息子の文武もんむ天皇の母として政治に関与し、707年に文武天皇が25歳で崩御した後、天皇として即位しました。

唐の開元通宝を模倣

和同開珎は、とう開元通宝かいげんつうほうに倣って鋳造されました。

唐は当時の東アジアの政治・文化の中心地であり、日本も積極的に唐の制度や文化を取り入れていました。

貨幣制度の導入も、その一環でした。

最初の皇朝十二銭

皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん本朝十二銭ほんちょうじゅうにせん)は、奈良時代から平安時代にかけて、日本の朝廷が発行した12種類の銭貨の総称です。

皇朝十二銭は、皇朝すなわち「日本の政府が造った12種類の銭」という意味です。

和同開珎は、最初の皇朝十二銭です。

鋳銭司で鋳造

和同開珎は、鋳銭司じゅせんしと呼ばれる役所で造られました。

貨幣の流通は限定的

和同開珎の導入は、日本の経済の仕組みに大きな変化をもたらしました。

それまでの物々交換の経済から、貨幣経済への移行が始まったのです。

しかし、朝廷によって貨幣の流通が奨励されたものの、和同開珎の普及は都市部が中心で、農村部では依然として物々交換が主流でした。

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