713年 開元の治

玄宗
玄宗
語呂合わせ

無いさ(713)悪評、開元の治

とうの第6代皇帝玄宗げんそうは、国内の混乱を収めて安定をもたらし、その治世は、開元かいげんと呼ばれました。

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開元の治

玄宗の治世を開元の治といいます。

募兵制

募兵制ぼへいせいとは、健児けんじと呼ばれる傭兵を雇う兵制のことです。

均田制の崩壊に伴い、府兵制に代わって採用されました。

節度使

府兵制が崩壊した後、北方の辺境警備のため節度使せつどしと呼ばれる辺境の募兵集団の指揮官が任命されました。

玄宗の晩年

玄宗の晩年は、唐王朝の最盛期から衰退へと転じた時期でした。

タラス河畔かはんの戦い(751年)や安史あんしの乱(755年~763年)などの大事件が発生し、唐王朝は大きく傾きました。

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