718年 養老律令の制定

藤原不比等
藤原不比等
語呂合わせ

長いや(718)施行まで、養老律令ようろうりつりょうの制定

養老律令ようろうりつりょうは、元正げんしょう天皇の時代に藤原不比等ふじわらのふひとが中心になって制定された法典です。

大宝律令たいほうりつりょうと内容は大きく変わらないものの、より整備・改訂が加えられて制定されました。

約40年後の757年に藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ(藤原不比等の孫)のもとで施行されました。

目次

元正天皇の治世

当時の天皇は元正げんしょう天皇でした。

元正天皇は女性天皇で、聖武しょうむ天皇が成人するまでの中継ぎ的な役割を担っていました。

在意中に、遣唐使による阿倍仲麻呂あべのなかまろ玄昉げんぼう吉備真備きびのまきびの派遣(717年)、養老律令ようろうりつりょうの制定(718年)、日本書紀の編纂(720年)が行われました。

この時期は、藤原不比等が実質的な政治の実権を握っており、養老律令の制定も不比等の主導で進められました。

藤原不比等による制定

藤原不比等ふじわらのふひとは、大化の改新で活躍した藤原鎌足ふじわらのかまたり中臣鎌足なかとみのかまたり)の子であり、藤原氏の基礎を築いた人物です。

彼は大宝律令たいほうりつりょうの制定に関わった経験を活かし、より実用的な法典の作成に取り組みました。

養老律令 ― 大宝律令の改正版

養老律令ようろうりつりょうは、大宝律令の改正版として作られましたが、実際には内容にほとんど違いはありませんでした。

つまり、養老律令は大宝律令の「マイナーバージョンアップ版」と考えるのが適切です。

藤原仲麻呂の台頭

750年代に入ると、藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ恵美押勝えみのおしかつ)が政治の実権を握るようになりました。

藤原仲麻呂は、南家なんけの始祖である藤原武智麻呂ふじわらのむちまろの次男で、藤原不比等ふじわらのふひとの孫にあたります。

孝謙こうけん天皇の信任を得て太政大臣まで昇進しました。

約40年越しの施行

藤原仲麻呂ふじわらのなかまろは政治の安定化と自身の権力基盤の強化を図るため、757年、長年放置されていた養老律令を施行しました。

目次