723年 三世一身法

三世一身法
三世一身法
語呂合わせ

難踏み(723)越えて、三世一身法さんぜいっしんほう

三世一身法さんぜいっしんほう養老ようろう七年のきゃく)は、新しく灌漑設備を作って開墾した土地は三世代まで、既存の灌漑設備を利用して開墾した土地は一世代限り保有できる制度です。

開墾とは、田んぼを作ることです。

元正げんしょう天皇の時代に、長屋王ながやおう政権のもとで発布されました。

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班田収授法の限界

当時の日本では、班田収授法はんでんしゅうじゅほうにより、農民に土地(口分田くぶんでん)を貸す代わりに税を納めさせていました。

しかし、人口の増加に伴い、口分田が不足しており、新しい農地の開発が急務でした。

元正天皇の治世

三世一身法さんぜいっしんほうが制定された723年は、元正げんしょう天皇(在位:715-724年)の治世でした。

元正天皇は女性天皇で、聖武しょうむ天皇の即位までの中継ぎ的な役割を果たしていました。

長屋王政権

長屋王
長屋王

この時期の政治の実権は、長屋王ながやおうが握っていました。

長屋王は天武天皇の孫にあたる皇族で、政治の中枢にいました。

三世一身法さんぜいっしんほうの制定も、長屋王政権によるものと考えられています。

百万町歩の開墾計画の挫折

実は、三世一身法制定の前には、百万ひゃくまん町歩ちょうぶ開墾計画かいこんけいかくという壮大な計画がありました。

これは、全国で100万町歩(約100万ヘクタール)の土地を開墾しようという計画でした。

しかし、労働力や技術力、資金の不足により現実的な計画ではありませんでした。

このような状況を受けて、開墾を促進するための政策として三世一身法が制定されたのです。

三世一身法

三世一身法さんぜいっしんほうでは、新しく灌漑設備を作って開墾した土地は三世代まで、既存の灌漑設備を利用して開墾した土地は一世代に限り保有できるようにしました。

個人による土地の所有を限定的に認めつつ、開墾の難易度によって所有期間を調整しました。

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対象開墾の難易度所有の期間
新設の灌漑設備を利用した開墾地高い三世代
既存の灌漑設備を利用した開墾地低い一世代

三世一身法が必要だった理由

班田収授法はんでんしゅうじゅほうでは土地が国有で、個人が開墾しても私有できませんでした。

これでは開墾の意欲が湧かず、人口増加に対応できる農地が不足していました。

そこで、開墾のインセンティブを与えるために制定されました。

三世一身法の意義

既存の班田収授法はんでんしゅうじゅほうでは、個人の土地所有を認めていませんでしたが、三世一身法さんぜいっしんほうでは限定的ながら個人の土地所有を認めました。

これは、律令制度の根幹である「公地公民制」(土地と人民は国のもの)に初めて例外を設けた画期的な法律でした。

成果はイマイチ

しかし、期限付きの土地所有制度であったため、大きな開墾の動きにはつながりませんでした。

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