語呂合わせ
名、知れ(740)る、藤原広嗣の乱
目次
橘諸兄が政権を握る
橘諸兄は、藤原氏の勢力を抑えつつ、自らの政治基盤を固めていきました。
重用される吉備真備と玄昉
橘諸兄は、唐からの帰国者である吉備真備と僧の玄昉を重用し、政治を行いました。
しかし、これに
藤原広嗣の左遷
藤原広嗣は、朝廷の政策に異議を唱えたため、九州の太宰府に左遷させられました。
太宰府にいた広嗣は、吉備真備や玄昉を排除する様に訴えましたが、聞き入られませんでした。
藤原広嗣の乱
訴えが聞き入れられなかった広嗣は、反乱を決意し、九州の兵を集めて挙兵しました。
これを藤原広嗣の乱といいます。
それに対して、朝廷は
広嗣の軍は朝廷軍と衝突し敗北、捕えられ処刑されました。
恭仁京へ遷都
その後、
しかし、結局、745年に平城京へ戻りました。