794年 平安京へ遷都

平安京
平安京

名古屋太郎, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

語呂合わせ

鳴くよ(794)ウグイス、平安京へいあんきょう

覚え方

794年の平安京へ遷都は、694年の藤原京へ遷都の「100年後」である。

794年の平安京へ遷都は、784年の長岡京へ遷都の「10年後」である。


  • 694年 藤原京へ遷都
  • 784年 長岡京へ遷都
  • 794年 平安京へいあんきょうへ遷都

平安京へいあんきょうは、桓武かんむ天皇によって造営された都城です。

それまでの長岡京ながおかきょうでは、不吉な事件や天災などが相次ぎ、遷都が決断されました。

目次

長岡京での不吉な出来事

早良親王
早良親王

784年に平城京から長岡京へ遷都しましたが、その翌年、造営使ぞうえいしであった藤原種継が暗殺される事件(藤原ふじわらの種継たねつぐ暗殺事件)が発生します。

さらに、首謀者とされた早良さわら親王が配流の途中で非業の死を遂げ、怨霊の噂が広まりました。

これに加えて、皇族の死去・天災・疫病が相次ぎ、人々の間に「祟り」への不安が強まりました。

和気清麻呂の進言

和気清麻呂
和気清麻呂

この状況の中、朝廷の重臣である和気清麻呂わけのきよまろが、新しい都の候補地として、山背やましろのくに(現在の京都市付近)を推薦しました。

和気清麻呂は、宇佐八幡宮信託事件で、道鏡の天皇即位を阻止した人物です。

清麻呂が推薦した理由は、地理や風水の条件が整っていたためです。

  • 陸路・水路の便に優れている
  • 三方が山に囲まれ、防御に適している
  • 北に玄武げんぶ(山)、西に白虎びゃっこ(道)、東に青龍せいりゅう(川)、南に朱雀すざく(池)という四神しじん相応そうおうの地

桓武天皇はこの意見を受け入れ、長岡京から平安京への遷都を決断しました。

平安京へ遷都

794年、桓武天皇は平安京への遷都を実行しました。

「平安京」という名前には「平和で安らかな都」という意味が込められ、早良親王の怨霊を鎮め、平和な世を築きたいという桓武天皇の願いが込められていました。

山背国から山城国へ

遷都と同時に、都が置かれた山背やましろのくに山城やましろのくにに改名されます。

山背」は平城京から見て山の向こうにあるという意味でしたが、新たな都を象徴する「王城の地 = 山城」に改めたのです。

平安時代の始まり

平安京への遷都により、日本の政治・文化の中心は京都に移ります。

ここから約400年続く平安時代が始まり、日本独自の国風文化や貴族文化が花開いていきます。

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