806年 空海、真言宗を伝える

空海
空海

「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」(真言八祖像のうち空海)を加工して作成

語呂合わせ

晴れろ(806)高野こうやの、真言宗しんごんしゅう

覚え方

『天才と真空』(最澄と空海の宗派)

天 = 天台宗てんだいしゅう

才 = 最澄さいちょう

真 = 真言宗しんごんしゅう

空 = 空海くうかい

真言宗しんごんしゅうは、空海くうかいで学んだ密教みっきょうをもとに、日本で確立させた仏教の宗派です。

密教とは、秘密仏教の略です。

目次

空海と仏教への志 ― 三教指帰

空海は讃岐国さぬきのくに(現在の香川県)に生まれ、若い頃は儒教・道教・仏教の三教を学びました。

その学びの成果として、著作『三教指帰さんごうしいき』を記し、仏教こそが最高の教えであると論じました。

これが空海の宗教家としての出発点です。

唐で密教を学ぶ

桓武天皇
桓武天皇

804年、桓武天皇の時代に、空海最澄さいちょうらと共に遣唐使の一員としてに渡ります。

唐の都・長安の青龍寺せいりゅうじで、密教の高僧である恵果けいかに弟子入りし、短期間で密教の奥義を授かりました。

これは極めて異例のことで、恵果に「密教を伝える者はお前しかいない」と言わしめたとされます。

真言宗の確立

空海は、806年に日本に帰国し、密教を基盤にして、真言宗しんごんしゅうを確立させました。

真言宗は、大日経だいにちきょうを経典とする大日如来だいにちにょらいを最も重要視する密教です。

空海は仏教の教えを体系化し、『十住心論じゅうじゅうしんろん』で人間の心の発展段階と仏教の教義を整理しました。

高野山 金剛峯寺 ― 真言宗の総本山

高野山金剛峯寺
金剛峯寺

空海は、真言宗の修行と布教の拠点として、和歌山県の高野山こうやさんを選びました。

ここに建立したのが、真言宗の総本山となる金剛峯寺こんごうぶじです。

高野山は、現在でも「密教の聖地」として知られ、多くの僧侶が修行を行う場所となっています。

教王護国寺 ― 真言宗の根本道場

東寺
東寺(教王護国寺)

平安京では、嵯峨さが天皇から東寺とうじ(のちの教王護国寺きょうおうごこくじ)を賜り、都における真言宗の拠点とします。

東寺は「教王護国寺」と改称され、真言宗の根本道場としての役割を果たすようになります。

根本道場とは、宗教的な修行の場所のことです。

空海の文学

彼は漢詩文や書道にも秀でており、著書には漢詩文の理論書『文鏡秘府論ぶんきょうひふろん』や詩文集『性霊集しょうりょうしゅう』があります。

三筆の一人

風信帖
風信帖

空海は書の達人としても知られ、三筆さんぴつの一人に数えられます(他の2人は嵯峨さが天皇とたちばなの逸勢はやなり)。

代表的な作品としては、最澄に送った手紙である『風信帖ふうしんじょう』が、書の名品として知られています。

覚え方

『くさった、三筆』(三筆)

く = 空海くうかい

さ = 嵯峨さが天皇

た = たちばなの逸勢はやなり

綜芸種智院 ― 庶民も学べる学問所

また空海は教育にも力を入れ、庶民にも学問の門戸を開いたことで知られます。

京内に設立した綜芸種智院しゅげいしゅちいんは、身分に関係なく学べる学問所として画期的な存在でした。

最澄と空海

最澄の天台宗と空海の真言宗をまとめると次のようになります。

開祖最澄さいちょう空海くうかい
諡号伝教大師でんぎょうだいし弘法大師こうぼうだいし
宗派天台宗真言宗
経典法華経大日経
密教台密(円仁・円珍)東密
寺院比叡山延暦寺高野山金剛峯寺
東寺(教王護国寺)
著書山家さんげ学生がくしょうしき
顕界論けんかいろん
三教指帰
さんごうしいき
十住心論じゅうじゅうしんろん
文鏡秘府論ぶんきょうひふろん
性霊集しょうりょうしゅう
風信帖ふうしんじょう
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