814年 凌雲集の編纂

嵯峨天皇
嵯峨天皇
語呂合わせ

はいよ(814)とできた、凌雲集りょううんしゅう

凌雲集りょううんしゅうは、嵯峨さが天皇の命により編纂された日本初の勅撰ちょくせん漢詩集です。

勅撰とは、天皇の命令で編纂された書物のことを指します。

目次

文章経国思想

平安時代に漢詩集が作られた背景には、文章もんじょう経国けいこく思想が深く関わっています。

文章経国思想とは、文章、特に漢文学の力によって国が栄えるという思想です。

これは、中国から伝来した思想で、「優れた文章を書くことができる人こそが、国家を正しく統治できる」という考えに基づいています。

文帝ぶんてい曹丕そうひの言葉が由来と言われています。

この思想が日本に伝わると、平安時代の貴族社会では漢詩や漢文を作る能力が、政治家としての資質を示す重要な指標となりました。

嵯峨天皇の治世

嵯峨さが天皇の時代には、この文章もんじょう経国けいこく思想が花開きました。

嵯峨天皇自身も優れた書道家(三筆さんぴつ)として知られており、漢文学を重視する姿勢を示していました。

覚え方

『くさった、三筆』(三筆さんぴつ

く = 空海くうかい

さ = 嵯峨さが天皇

た = たちばなの逸勢はやなり

このような背景があったからこそ、凌雲集のような勅撰漢詩集が編纂されることになったのです。

勅撰漢詩集

平安時代には、凌雲集りょううんしゅう文華ぶんか秀麗しゅうれいしゅう経国集けいこくしゅうの3つの勅撰漢詩集が編纂されました。

凌雲集文華秀麗集嵯峨天皇の命で、経国集淳和天皇の命でつくられました。

覚え方

良文りょうぶん稽古けいこ、超苦戦』(勅撰漢詩集を古い順に覚える)

良 = 凌雲集 (814年)

文 = 文華秀麗集(818年)

稽古 = 経国集 (827年)

凌雲集 ― 日本初の勅撰漢詩集

凌雲集りょううんしゅうは、嵯峨さが天皇の命によって、814年に編纂された日本初の勅撰漢詩集かんししゅうです。

ちなみに日本初の勅撰和歌集わかしゅうは、905年に成立した古今こきん和歌集です。

文華秀麗集

文華ぶんか秀麗しゅうれいしゅうは、嵯峨さが天皇の命によって、818年に編纂された勅撰漢詩集です。

凌雲集の続編的な内容です。

経国集

経国集けいこくしゅうは、淳和じゅんな天皇の命によって、827年に編纂された勅撰漢詩集です。

3つの勅撰漢詩集の完結編です。

淳和天皇は、平城天皇と嵯峨天皇の異母弟です。

私撰漢詩集

私撰しせん漢詩集は、民間で作られた漢詩集のことです。

懐風藻 ― 日本最古の漢詩集

懐風藻かいふうそうは、現存する日本最古の漢詩集です。

編者は不明で、751~752年ごろに完成したと見られています。

大津おおつの皇子みこ淡海おうみの三船みふねなどの作品が掲載されています。

性霊集 ― 空海の漢詩集

性霊集しょうりょうしゅうは、空海の漢詩を弟子の真済が編纂したものです。

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