884年 藤原基経、事実上の関白就任

藤原基経
藤原基経
語呂合わせ

はやし(884)たてられ、藤原基経、事実上の関白就任

藤原基経ふじわらのもとつねは、陽成ようぜい天皇を退位させ、代わりに光孝こうこう天皇を即位させると事実上の関白かんぱくとして政治を動かすようになりました。

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素行不良の陽成天皇が退位

陽成天皇は乱暴な振る舞いが多く、臣下を傷つけるなど統治者として不適任と見なされていました。

そのため、政治の実権を握っていた藤原基経は、陽成天皇を退位させるという前代未聞の決断を下します。

光孝天皇の即位と「事実上の関白」(884年)

藤原基経は、時康親王を光孝天皇として即位させ、自身が政務を主導します。

このとき、基経は公式な称号こそ持たなかったものの、実質的には関白のような立場で政権を動かしていました。

この状態が「事実上の関白就任」と言われます。

摂政と関白の違い

  • 摂政は、幼少の天皇を補佐しながら政治を行う最高権力者のこと。
    • 人臣初の摂政:藤原良房
  • 関白は、成人した天皇を補佐しながら政治を行う最高権力者のこと。
    • 人臣初の関白:藤原基経

宇多天皇の即位と「正式な関白」(887年)

光孝天皇の死後、宇多うだ天皇が即位すると、基経は正式に関白に任命されました。

これにより、関白という地位が制度として定着し、のちの摂関せっかん政治の礎が築かれます。

人臣初の関白

藤原基経は、天皇の血を引かない人臣として初めて関白となった人物です。

この出来事は、貴族である藤原氏が天皇に代わって政権を握る流れの始まりを象徴しています。

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