894年 遣唐使の廃止

菅原道真
菅原道真
語呂合わせ

白紙(894)にしよう、遣唐使

遣唐大使に任命された菅原道真すがわらのみちざねは、唐の衰退や航路の危険性を理由に遣唐使けんとうしの廃止宇多うだ天皇に進言しました。

遣唐使が廃止されると、党の文化的な影響が薄れ、日本独自の国風こくふう文化が発達しました。

目次

遣唐使とは?

遣唐使とは、唐(中国)に日本から派遣された使節団のことです。630年に始まりました。

目的は、唐の先進的な文化・制度・仏教などを学び、日本に取り入れることでした。

7世紀から9世紀にかけて何度も派遣され、律令制度や仏教文化、建築技術など、多大な影響を受けました。

遣唐使廃止の理由

遣唐使が廃止された背景には、いくつかの大きな要因があります。

唐の衰退

9世紀末、唐はすでに政治的にも社会的にも衰退していました。

黄巣こうそうの乱(875年)といった大規模な反乱が起こり、唐の統治力は大きく低下していたのです。

「学ぶべき相手」としての魅力が薄れたことが、遣唐使廃止の大きな理由でした。

航路の危険性

さらに、唐への航海は非常に危険でした。

嵐による遭難や、航路途中の海賊被害も多く、命を落とす使節も少なくなかったのです。

リスクの高さも、遣唐使廃止を後押ししました。

新羅との国交断絶

本来、遣唐使は、日本 → 朝鮮半島(新羅しらぎなど)→ 唐という「陸路+海路」で比較的安全に唐へ向かっていました。

しかし、新羅との国交断絶により、朝鮮半島を経由できなくなり、東シナ海を横断する「危険な航海」をとらなければならなくなっていました。

菅原道真の進言

遣唐使廃止を進言したのが、当時、学者・政治家として活躍していた菅原道真です。

これを受けた宇多天皇は、894年、遣唐使の正式な廃止を決定しました。

国風文化、栄える

遣唐使の廃止により、日本は唐に依存せず、自国独自の文化を発展させる道を歩み始めます。

これをきっかけに、かな文字国文学などの国風文化が栄えることになります。

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