遣唐大使に任命された
この記事では、遣唐使の廃止について整理し、高校日本史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
遣唐使とは?
目的は、唐の先進的な文化・制度・仏教などを学び、日本に取り入れることでした。
7世紀から9世紀にかけて何度も派遣され、律令制度や仏教文化、建築技術など、多大な影響を受けました。



遣唐使廃止の理由
遣唐使が廃止された背景には、いくつかの大きな要因があります。
唐の衰退
9世紀末、唐はすでに政治的にも社会的にも衰退していました。
「学ぶべき相手」としての魅力が薄れたことが、遣唐使廃止の大きな理由でした。

航路の危険性
さらに、唐への航海は非常に危険でした。
嵐による遭難や、航路途中の海賊被害も多く、命を落とす使節も少なくなかったのです。
リスクの高さも、遣唐使廃止を後押ししました。
新羅との国交断絶
本来、遣唐使は、日本 → 朝鮮半島(
しかし、新羅との国交断絶により、朝鮮半島を経由できなくなり、東シナ海を横断する「危険な航海」をとらなければならなくなっていました。
財政負担が重すぎる
遣唐使には莫大な費用がかかりますが、それに見合った経済的効果が見出せなくなっていました。
菅原道真の進言
遣唐使廃止を進言したのが、当時、学者・政治家として活躍していた
これを受けた

国風文化、栄える
遣唐使の廃止により、日本は唐に依存せず、自国独自の文化を発展させる道を歩み始めます。
これをきっかけに、かな文字や国文学などの国風文化が栄えることになります。
理解を深めるQ&A
よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!
関連年表
平安時代、前期(794〜901年)の歴史は、次の通りです。
| 年号 | 出来事 |
|---|---|
| 794年 | 平安京へ遷都 |
| 797年 | 坂上田村麻呂、征夷大将軍になる |
| 801年 | 坂上田村麻呂の蝦夷征討 |
| 802年 | 胆沢城の築城 |
| 805年 | 最澄、天台宗を伝える |
| 805年 | 徳政相論 |
| 806年 | 空海、真言宗を伝える |
| 807年 | 伊予親王の変 |
| 810年 | 薬子の変 |
| 811年 | 文室綿麻呂の派遣 |
| 814年 | 凌雲集の編纂 |
| 820年 | 弘仁格式の編纂 |
| 828年 | 綜芸種智院の設立 |
| 833年 | 令義解の撰進 |
| 842年 | 承和の変 |
| 858年 | 藤原良房、事実上の摂政就任 |
| 866年 | 応天門の変 |
| 875年 | 黄巣の乱 |
| 878年 | 元慶の乱 |
| 884年 | 藤原基経、事実上の関白就任 |
| 887年 | 藤原基経、正式な関白就任 |
| 888年 | 阿衡の紛議 |
| 894年 | 遣唐使の廃止 |
| 897年 | 滝口の武者(滝口の武士)の設置 |
| 901年 | 昌泰の変 |
