916年 遼の建国

耶律阿保機
耶律阿保機

瑞丽江的河水, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

語呂合わせ

黄色(916)のキタイが、遼を建国

覚え方

『遼の重要年代は10年ごとに起こる』

916年:遼の建国

926年:渤海を滅ぼす

936年:燕雲十六州の獲得

キタイ契丹きったん)の耶律阿保機やりつあぼきが諸部族を統一して、りょうを建国しました。

遼は、渤海ぼっかいを滅ぼし、中国の一部である燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうも手中に収めました。

こうして、遊牧系民族が中国北部に本格的な支配体制を築く時代の幕が上がります。

目次

キタイ(契丹)とは

キタイ契丹)は、モンゴル高原に居住していた遊牧民族です。

唐に臣従していた時期もありましたが、唐の衰退とともに独自の動きを見せはじめます。

遼の建国(916年)

キタイの指導者であった耶律阿保機は、諸部族を統一して、を建国しました。

阿保機は軍事だけでなく政治や制度の整備にも力を注ぎ、遊牧と農耕の二重統治体制を導入するなど、安定した支配を確立します。

渤海を滅亡させる(926年)

の勢力はしだいに拡大し、926年には渤海ぼっかいを滅ぼしました。

渤海は、中国東北部から朝鮮半島北部にかけてを支配していましたが、遼の軍事力の前に屈します。

燕雲十六州の獲得(936年)

936年、後唐こうとうの重臣であった石敬瑭せきけいとうが、後唐を倒すために遼に援軍を求めます。

このとき、石敬瑭はその見返りとして、華北の要衝・燕雲十六州えんうんじゅうろくしゅうを遼に割譲しました。

後唐を倒した石敬瑭は、後晋を建国しました。

これにより、遼は中国本土への足がかりを手に入れることができました。

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