語呂合わせ
雲裂く(939)勢い、藤原純友の乱
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目次
海賊の首領、藤原純友
藤原純友は、元々は
しかし任期を終えた後も現地にとどまり、瀬戸内海の海賊たちと結びついて力を蓄え、やがて自ら海賊の首領となります。
拠点は「伊予の日振島」
拠点としたのは、伊予国の沖合にある
この島は瀬戸内海の交通の要所に位置し、船の通行を抑えるには非常に有利な地形でした。
純友はここを本拠として各地の港を襲撃し、京都や九州に通じる航路を脅かしました。
朝廷側の討伐軍 ― 源経基と小野好古
朝廷はこの反乱を重く見て、討伐軍を派遣します。
指揮をとったのが、
源経基は、
小野好古は、文武に優れた貴族出身の人物です。
二人の連携により、純友軍は徐々に追い詰められていきました。
藤原純友の最後 ― 乱の終結
藤原純友は各地で抵抗を試みましたが、勢力は次第に弱まり、最終的には討伐軍により壊滅します。
純友本人は逃走中に死亡したとされ、ここに反乱は終結しました。
この乱と同年に関東で起こった平将門の乱とともに、両者を総称して「承平・天慶の乱」と呼びます。