前770年 東周の成立

狼煙を上げる幽王と褒姒
のろしを上げる周の幽王と妃の褒姒
語呂合わせ

七難起(前770)こり、東周の成立(春秋時代の開始)

異民族の犬戎けんじゅうが周の都 鎬京こうけいに乱入し、周の幽王ゆうおうが敗死すると、その子 平王へいおうは都を洛邑らくゆうに移しました。遷都以前を西周、以後を東周とうしゅうといいます。

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周の東遷 ― 犬戎の侵入で西周が滅亡

西方の遊牧民 犬戎が、周の都 鎬京を奪い、周の幽王を殺害すると、子の平王は、都を洛邑に遷しました。

これを周の東遷といいます。

春秋時代 ― 歴史書「春秋」に記録された時代

周の東遷から春秋時代は始まります。

孔子が編集した魯の歴史書 春秋に記録された時代のため、この時代を春秋時代といいます。

尊王攘夷 ― 覇者が掲げたスローガン

周の東遷によって、周王は、洛邑のみを支配する地方勢力になってしまいます。

しかし、周王の権威は残っていました。

有力諸侯は、「周王を尊び、夷狄を打ち払え」という尊王攘夷の思想を掲げて、会盟をつくり、自らは盟主となりました。

会盟の盟主になった諸侯を覇者といいます。

会盟とは、諸侯の同盟のことをいいます。

春秋五覇

覇者の中でも、特に有力なものを春秋五覇といいます。斉の桓公と晋の文公が有名です。

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