無為に(前612)なる、アッシリアの滅亡
オリエント(中東全域)を初めて統一したアッシリアは、新バビロニア(カルデア)とメディアの連合軍によって攻められ滅亡しました。
この記事では、アッシリアの興亡について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
北メソポタミアに建国
前2000年頃、セム語系民族が北メソポタミアにアッシリアを建国します。アッシュルを都とする小国でしたが、前1500年頃になると、ミタンニ王国に服属するようになります。
ミタンニ王国からの独立
その後、アッシリアは、前1350年頃、ミタンニ王国から独立し、勢力を拡大させました。
中継貿易で繁栄
また、アッシリアは、アナトリアとの中継貿易で繁栄しました。
イスラエル王国を滅ぼす

前722年には、サルゴン2世がイスラエル王国を滅ぼしています。

南部にできていたユダ王国はこの時、アッシリアの属国になります。
初の世界帝国

アッシリアは、鉄器、戦車、騎兵を駆使して征服活動を展開しました。
初めてオリエントを統一

その結果、前663年にメソポタミアだけではなくエジプトをも征服します。
こうして、アッシュル=バニパル王のもとで史上初めてオリエント世界が統一されました。
これにより史上初の世界帝国と言われることがあります。
ニネヴェの大図書館
アッシリアの最盛期を築いたアッシュル=バニパル王は、都のニネヴェに大図書館を建造したことで有名です。
約50万点の粘土板の文書を保管していたといわれており、遺跡からは大量の粘土板が発見されています。
駅伝制
アッシリアは広大な領土を効率的に支配するため、全国を州に分け、そこに総督を置いて中央集権体制を強化しました。
中央政府と地方の間に迅速な連絡手段として、道路網を整備し、駅伝制を確立しました。
駅伝制は、伝令が早馬に乗って宿駅で馬を乗り継ぎ、中央と地方との間で情報を迅速に伝達する仕組みです。
力による支配
武力のみに頼り被征服民の虐殺や強制移住を繰り返し行ったことで、反乱が相次ぎ、アッシリアの支配は非常に不安定なものでした。
アッシリア帝国の崩壊
アッシュル=バニパル王の死後、前612年に新バビロニア(カルデア)とメディアの連合軍によって首都ニネヴェが陥落し、アッシリア帝国は滅亡しました。
4つの強国が分立する時代に

アッシリア崩壊後、オリエント世界はエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアに分裂し、四王国時代になりました。

関連年表
アッシリアの独立から滅亡までの歴史は、次の通りです。
年号 | 出来事 |
---|---|
前1350年頃 | アッシリアがミタンニ王国から独立 |
前922年 | ヘブライ王国がイスラエル王国とユダ王国に分裂 |
前722年 | アッシリアがイスラエル王国を滅ぼす |
前668年 | アッシリアでアッシュル=バニパルが即位 |
前663年 | アッシリアがオリエントを統一 |
前625年 | アッシリアからカルデア(新バビロニア)が独立 |
前612年 | アッシリアの滅亡(四王国時代の始まり) |