330年 コンスタンティノープルへ遷都

コンスタンティノープル
コンスタンティノープル
語呂合わせ

さぁさぁお(330)いでよ、コンスタンティノープルへ遷都

コンスタンティヌス帝は、ローマ帝国の首都を、ローマからビザンティウムに「第二のローマ」として遷しました。

新都は、コンスタンティノープルと改称されました。

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多神教の影響が残るローマ

コンスタンティヌス帝は、ミラノ勅令でキリスト教を公認しましたが、ローマには多神教の影響が色濃く残っていました。

沈む西方と豊かな東方

また、ローマ帝国の西方(イタリアより西の地域)は、ゲルマン民族の侵入が頻発し、不安定な状況にありました。

一方で、東方(現在のトルコ周辺)は経済的に豊かで、安定しており、税収が期待できました。

コンスタンティノープルへ遷都

そこで、東方のギリシア人植民市のビザンティウムに遷都し、そこをコンスタンティノープル(コンスタンティヌスのポリス)と名付けました。

コンスタンティノープルは、現在のイスタンブールです。

ローマ帝国の中心が東に移動

ローマ帝国の首都が、ローマからコンスタンティノープルに遷ることで、政治・文化・経済の中心が大きく東に移動しました。

これは、後の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)成立の礎となりました。

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