350年頃 ヤマト政権の国内統一

埴輪
埴輪
語呂合わせ

さぁ号令(350)出すぞ、ヤマト政権の国内統一

ヤマト政権大和朝廷やまとちょうてい)は、350年頃、国内を統一しました。

この時期は、古墳時代あたり、前方後円墳ぜんぽうこうえんふんなどの巨大古墳が各地に築かれるようになり、ヤマト政権の勢力が広がっていたことがわかります。

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謎の4世紀

4世紀は日本史において「謎の4世紀」「空白の4世紀」と呼ばれています。

これは、中国の史書『魏志倭人伝』に記述された3世紀の邪馬台国の後、5世紀の倭の五王が登場するまでの間、日本に関する中国側の記録がほとんど残っていないためです。

しかし、考古学的発見により、古墳の分布や副葬品の分析から、ヤマト政権大和朝廷とも呼ばれる)の国内統一の過程が徐々に明らかになってきています。

ヤマト政権とは

ヤマト政権とは、大和やまと(奈良県)に拠点を置いた大王おおきみを中心とする豪族の連合政権です。

この大王は、後の天皇へとつながっていく存在であり、ヤマト政権の首長として全国の豪族を束ねていきました。

前方後円墳が示す勢力拡大

当時、日本列島には多くの地域勢力(豪族)が存在しており、それぞれが独自の支配を行っていました。

ヤマト政権は軍事力や婚姻関係、宗教的権威などを通じて他の豪族を従わせ、国内を統一させていきました。

前方後円墳は、ヤマト政権の拡大を示す考古学的な証拠としての役割を果たしています。

この独特な墳墓形式は、3世紀中頃から7世紀初頭にかけて造られ、その分布はヤマト政権の勢力範囲を示していると考えられています。

埴輪

古墳の周囲には埴輪はにわが配置されました。

埴輪は単なる装飾品ではなく、古墳の神聖性を保つとともに、被葬者の権力や地位を表現する重要な役割を担っていました。

円筒埴輪

円筒埴輪
円筒埴輪

円筒埴輪は、円筒形の埴輪のことです。前期古墳の時代に用いられました。

形象埴輪

形象埴輪は、人や動物などをかたどった埴輪のことです。中期古墳の時代以降に用いられました。

前期古墳

3世紀中頃〜4世紀頃に築かれた古墳を前期古墳といいます。

被葬者は司祭者的な支配者で、埋葬施設は竪穴式石室たてあなしきせきしつ、副葬品は銅鏡などです。

箸墓古墳はしはかこふん(奈良県)や黒塚古墳くろづかこふん(奈良県)が代表的な古墳です。

前期古墳特徴
外形前方後円墳、円墳、方墳など
埋葬施設竪穴式石室
副葬品銅鏡
被葬者司祭者的な支配者
埴輪円筒えんとう埴輪

箸墓古墳 ― 出現期最大級の古墳

箸墓古墳
箸墓古墳

箸墓古墳(奈良県)は、前方後円墳の出現期最大級の規模を誇ります。

全長約280メートルのこの古墳は、邪馬台国卑弥呼の墓ではないかとする説もあります。

中期古墳

5世紀頃に築かれた古墳を中期古墳といいます。

被葬者は武人的な支配者で、埋葬施設は竪穴式石室たてあなしきせきしつ、副葬品は鉄製の武具や馬具です。

大仙陵古墳だいせんりょうこふん(大阪府堺市)や誉田御廟山古墳こんだごびょうやまこふん(大阪府羽曳野市はびきのし)、造山古墳つくりやまこふん(岡山県)が代表的な古墳です。

中期古墳特徴
外形前方後円墳、円墳、方墳など
埋葬施設竪穴式石室
副葬品鉄製の武具や馬具
被葬者武人的な支配者
埴輪形象けいしょう埴輪(人、動物など)

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

大仙陵古墳
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)

Copyright © National Land Image Information (Color Aerial Photographs), Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, Attribution, via Wikimedia Commons

大阪府堺市さかいしにある大仙陵古墳だいせんりょうこふんは、日本最大の前方後円墳かつ世界最大の平面積をもつ墓として有名です。

墳丘の長さが486メートルもある巨大古墳です。

被葬者は、第16代・仁徳天皇とされ、宮内庁くないちょうにより「仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう」として管理されています。

しかし、仁徳天皇の生没年が不明のため、本人を葬ったかどうかは確定できていません。

世界三大墳墓

大仙陵古墳は、エジプトのクフ王ピラミッドや中国の始皇帝陵しこうていりょうと並び、世界三大墳墓の1つに数えられます。

  • 高さNo.1は、クフ王のピラミッド
  • 体積No.1は、始皇帝陵
  • 平面積No.1は、大仙陵古墳

後期古墳

新沢千塚古墳群
群集墳(新沢千塚古墳群)

6世紀頃に築かれた古墳を後期古墳といいます。

巨大な前方後円墳が減少し、群集墳ぐんしゅうふんが出現し始めます。

群集墳とは、小型の古墳が密集している古墳群のことです。有力農民によって築かれました。

被葬者は有力豪族地方豪族有力農民などで、埋葬施設は竪穴式石室ではなく横穴式石室よこあなしきせきしつが一般的になり、副葬品は日常的な生活用具です。

新沢千塚古墳群にいさわせんづかこふんぐん(奈良県)や岩戸山古墳いわとやまこふん(福岡県)、石舞台古墳いしぶたいこふん(奈良県)、竹原古墳たけはらこふん(福岡県)、吉見百穴よしみひゃくあな(埼玉県)などが代表的な古墳です。

後期古墳特徴
外形前方後円墳、円墳・方墳(群集墳
埋葬施設横穴式石室
副葬品日常的な生活用具
被葬者有力豪族、地方豪族、有力農民
埴輪形象埴輪(人、動物など)

岩戸山古墳

石人・石馬
石人・石馬

福岡県八女やめ市にある岩戸山いわとやま古墳は、九州の豪族である筑紫つくしのくにのみやつこ磐井いわいの墓とされます。

九州北部の古墳は、土製の埴輪ではなく、石人石馬が並べられていました。

石舞台古墳

石舞台古墳
石舞台古墳

奈良県の石舞台古墳は、蘇我馬子の墓とされています。

巨大な石を用いた横穴式石室が露出した遺跡が残っています。

終末期古墳

牽牛子塚古墳
八角墳(牽牛子塚古墳)

名古屋太郎, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

7世紀頃に築かれた古墳を終末期古墳といいます。

前方後円墳は築かれなくなり、八角墳はっかくふんが築かれるようになりました。

八角墳は、墳丘の平面が八角形を積み重ねた墳墓です。

被葬者は大王や地方豪族で、高松塚古墳たかまつづかこふん(奈良県)や野口王墓古墳のぐちおうぼこふん(奈良県)が代表的な古墳です。

終末期古墳特徴
外形八角墳、円墳・方墳
埋葬施設横穴式石室
副葬品少ない
被葬者大王、地方豪族など
埴輪少ない

高松塚古墳

高松塚古墳壁画 西壁女子群像
高松塚古墳の壁画

奈良県高市郡明日香村の高松塚古墳は、極彩色壁画(四神・男女群像)を持つことで有名です。

1972年に発見され、当時、日本中で注目されました。

古墳の衰退

古墳の造営は徐々に衰退し、権威の象徴としての役割を終えます。

律令制の浸透とともに墳墓を利用した統治から法への統治への変化していきました。

氏姓制度の成立

ヤマト政権による国内統一の過程で重要な役割を果たしたのが氏姓しせい制度です。

氏姓制度は、血縁関係による集団(うじ)に地位(かばね)を与える制度です。

氏 ― 血縁関係による集団

うじは、血縁関係による集団のことです。

は、氏の長である氏上うじのかみと、氏の構成員である氏人うじびと隷属民れいぞくみんである奴婢ぬひにより構成されました。

姓 ― ヤマト政権内での地位

かばねは、ヤマト政権内での地位を示します。

特に重要な姓には、おみむらじがあります。

臣 ― 独立した有力豪族に与える地位

おみは、独立した有力豪族に与える姓です。

を与えられた豪族の代表者を大臣おおおみといいます。

代表的な大臣には、蘇我氏がいます。

連 ― 職能で仕える豪族に与える地位

むらじは、職能で仕える豪族に与える姓です。

を与えられた豪族の代表者を大連おおむらじといいます。

代表的な大連には、物部氏や大伴氏がいます。

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