語呂合わせ
テオドシウス帝は、ローマ帝国内において、アタナシウス派キリスト教を国教とし、異教の信仰を禁止しました。
これにより、キリスト教はローマ帝国唯一の公式の宗教としての地位を確立します。
この記事では、キリスト教の国教化について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
目次
失墜する皇帝の権威
4世紀後半、ゲルマン民族の大移動が進む中、378年のアドリアノープルの戦いにおいてローマ軍は西ゴート人に敗れ、皇帝のウァレンスが戦死しました。
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この出来事は、ローマ皇帝の軍事的・政治的権威が大きく揺らいだことを象徴しています。
その後、ウァレンスの後を継いでテオドシウスが、ローマ皇帝になると、帝国の動揺を抑えるため、新たな精神的支柱としてキリスト教を重視するようになります。
キリスト教がローマの宗教に
テオドシウス帝は、392年、キリスト教をローマ帝国の宗教(国教)と定め、異端や異教の信仰は禁止されました。
アタナシウス派キリスト教が国教となることで、皇帝がキリスト教の支配者であり保護者としての立場を持つようになりました。
多神教の禁止
異教信仰の禁止により、ローマの伝統的な多神教信仰も禁止され、伝統的な神殿の多くが破壊、あるいは、キリスト教の教会に転用されるようになりました。
また、古代ギリシア以来続いていたオリンピアの祭典も異教信仰として禁止されました。
西洋がキリスト教中心の社会に変化
テオドシウス帝のキリスト教の国教化によって、キリスト教は、ヨーロッパ文明の中心的な存在となり、西洋社会は次第にキリスト教を基盤とする社会へと変化していきます。
ローマ帝国の東西分裂へ
テオドシウス帝の死後、2人の息子が東西の皇帝となって、ローマ帝国は分裂の道を歩み始めることになります。
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