395年 ローマ帝国の分裂

ローマ帝国の分裂
ローマ帝国の分裂
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さくこ(395)しらえて、ローマ帝国分裂に

ローマ帝国のテオドシウス帝の死後、息子2人がそれぞれ東西の皇帝となり、ローマ帝国は東西に分裂しました。

長子のアルカディウスが継いだのが東ローマ帝国、次子のホノリウスが継いだのが西ローマ帝国です。

この分裂以後、ローマ帝国が再び統一されることはありませんでした。

この記事では、ローマ帝国の分裂について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

テオドシウス帝の後を継ぐ二人の息子

テオドシウス帝は380年にキリスト教国教化を通じて帝国統合を図りましたが、広大なローマ帝国を一人の皇帝で統治することは困難でした。

そのため、395年のテオドシウス帝の死後、二人の息子が東西の皇帝となり、ローマ帝国は東西に分裂しました。

長子アルカディウスの東ローマ帝国

長子アルカディウス

長子のアルカディウス東ローマ帝国は、東方交易の発展や豊かな財政基盤を背景に安定した統治を行いました。

その結果、東ローマ帝国は、1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落されるまで、約1000年以上続くことになります。

次子ホノリウスの西ローマ帝国

次子ホノリウス

一方、次子ホノリウス西ローマ帝国は、防衛力や財政基盤が弱体化していました。

410年には西ゴート人によってローマが略奪されるなど混乱が続き、最終的に476年、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルによって西ローマ帝国は滅亡しました。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

ローマ帝国が東西に分裂した理由は?

テオドシウス帝が二人の息子に分割統治させたためです。

彼は、広大なローマ帝国領土を一人で統治することは困難であり、分業が不可欠と判断しました。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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