431年 エフェソス公会議

エフェソス公会議
エフェソス公会議

「Philippe Alès」による作品(CC BY-SA 3.0)をトリミングして使用

語呂合わせ

余罪(431)あり、エフェソス公会議

東ローマ皇帝テオドシウス2世のもとでエフェソス公会議が開催され、イエスの神性と人性を完全に分離するネストリウス派キリスト教異端とされました。

公会議とは、キリスト教の宗教会議のことをいいます。

この記事では、エフェソス公会議について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

外敵に揺らぐローマ帝国

375年のゲルマン民族の大移動以降、西ローマ帝国では混乱が続き、410年のローマ略奪や、西ゴート王国(418年)、ヴァンダル王国(429年)の建国などが相次ぎ、帝国は深刻な危機に陥りました。

こうした中、比較的安定していた東ローマ帝国では、宗教的統一によって国家秩序を維持しようとする動きが強まります。

聖母マリアは「神の母」か

聖母マリア
聖母マリア

380年、ローマ帝国でキリスト教国教化され、アタナシウス派キリスト教が唯一の正統信仰となりました。

しかしその後、イエスの神性(神の部分)と人性(人の部分)をどのように理解するかをめぐって論争が起こります。

その中心的な争点が、聖母マリアを「神の母」と呼ぶべきかどうかという問題でした。

ネストリウスの主張 ― 「キリストの母」

ネストリウス
コンスタンティノープル総主教ネストリウス

コンスタンティノープル総主教のネストリウスは、イエス=キリストの神性と人性を明確に分けました。

そして、聖母マリアは「神の母」ではなく「キリストの母」であると主張しました。

キュリロスの主張 ― 「神の母」

これに対し、アレクサンドリア総主教のキュリロスは、イエスの神性と人性は不可分に結合しており、マリアは「神の母」と呼ぶべきであると主張しました。

エフェソス公会議

この論争が激化し、東ローマ皇帝テオドシウス2世は、エフェソス公会議の開催を決定しました。

ネストリウス派の排斥

公会議の結果、ネストリウス派は、異端とされました。

これにより、イエスは神性と人性が不可分に結合していると解釈され、聖母マリアは「神の母」と認められました。

ネストリウス派のその後

異端とされたネストリウス派は、ササン朝ペルシアに移動し、さらに中央アジアや中国へと布教を行いました。

ネストリウス派キリスト教は、中国では景教と呼ばれました。

フン人の脅威とアッティラ

この後、中央アジアの遊牧民フン人のアッティラがローマ帝国に押し寄せることになります。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

スクロールできます
年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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