476年 西ローマ帝国の滅亡

オドアケルに帝冠を渡すロムルス=アウグストゥルス
オドアケルに帝冠を渡すロムルス=アウグストゥルス
語呂合わせ

至難む(476)かえて、西ローマ帝国の滅亡

ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルは、西ローマ皇帝ロムルス=アウグストゥルスを退位させ、西ローマ帝国は滅亡しました。

西ローマ帝国の滅亡は、ゲルマン民族の侵入だけでなく、内政の混乱や軍事力の低下が重なった結果でした。

この記事では、西ローマ帝国の滅亡について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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目次

フン帝国の崩壊

アッティラ
アッティラ大王

451年のカタラウヌムの戦いで西ローマ帝国は西ゴート人・フランク人などと連合を組み、フン帝国を追い払うことに成功しました。

その後、フン帝国のアッティラ大王が急死すると、フン帝国は内紛によって急速に崩壊していきます。

しかし、フン人の脅威が去っても、西ローマ帝国の危機は解決しませんでした。

西ローマ帝国の内紛

カタラウヌムの戦いの後、西ローマ帝国では、軍事力を握る将軍と皇帝との対立が激化しました。

将軍が暗殺される一方で、ローマ皇帝自体も将軍の部下に暗殺されます。

ローマ略奪(455年)

ローマ略奪
ヴァンダル人によるローマ略奪

455年には、ヴァンダル人の王ガイセリックにより、海路からローマが襲撃されました。

これは、410年の西ゴート人によるローマ略奪に続く、2度目のローマ略奪です。

この事件により、西ローマ帝国の権威は、決定的に失墜します。

その後、実権を持たない皇帝が短期間で交代するようになり、実際の権力はゲルマン人の傭兵が握るようになります。

西ローマ帝国の滅亡

こうした中で台頭したのが、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルです。

彼は軍の支持を背景に、476年、最後の皇帝ロムルス=アウグストゥルスを廃位しました。

この出来事をもって、西ローマ帝国は滅亡したとされます。

ただし、これは突然の崩壊ではなく、すでに実態を失っていた帝国が形式的に終焉を迎えたものでした。

関連年表

帝政ローマの成立から西ローマ帝国の滅亡までの歴史は、次の通りです。

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年号出来事
前27年元首政(プリンキパトゥス)の開始
9年トイトブルクの森の戦い
64年ネロ帝のキリスト教徒迫害
96年五賢帝時代の始まり
117年ローマ帝国、最大領土になる
212年アントニヌス勅令
235年軍人皇帝時代の始まり
260年エデッサの戦い
284年専制君主政(ドミナートゥス)の開始
293年テトラルキア(四分統治制)の始まり
303年ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒迫害
313年ミラノ勅令
325年ニケーア公会議
330年コンスタンティノープルへ遷都
375年ゲルマン民族の大移動
392年キリスト教の国教化
395年ローマ帝国の分裂
410年西ゴート人によるローマ略奪
418年西ゴート王国の建国
429年ヴァンダル王国の建国
431年エフェソス公会議
451年カタラウヌムの戦い
451年カルケドン公会議
455年ヴァンダル人によるローマ略奪
476年西ローマ帝国の滅亡
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