死、矢を(前480)恐れず、テルモピレーの戦い
アケメネス朝ペルシアのクセルクセス1世の軍勢は、テルモピレーの戦いでスパルタのレオニダス王が率いる軍勢を全滅させ、アテネに侵攻しました。
この記事では、第3回ペルシア戦争(テルモピレーの戦い)について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
アケメネス朝ペルシアの王、クセルクセス1世

マラトンの戦い(前490年)で敗北したアケメネス朝ペルシア。その後、王位を継いだダレイオス1世の子、クセルクセス1世は、父の雪辱を果たすべく大軍を準備し、ギリシア全土の征服を目指しました。

スパルタの王、レオニダス
一方、ギリシアでは、陸軍最強国として名高いスパルタがギリシア連合軍の総指揮を執ることになります。その指導者は、スパルタ王レオニダスでした。
スパルタの成り立ち

ここで、スパルタという国の成り立ちについて見ておきましょう。
スパルタは、鉄器を持ったドーリア人がペロポネソス半島のラコニア地方に侵入し、先住民を征服して成立したポリスです。征服された先住民たちは、支配層であるドーリア人によって厳しく支配されることになりました。
リュクルゴスの制

スパルタでは、伝説の立法者リュクルゴスによって定められたとされる厳格な支配体制が整えられました。これをリュクルゴスの制と呼びます。
この体制のもとで、スパルタは、完全市民・劣格市民・隷属民の3つの身分に分かれていました。
| 身分 | 説明 |
|---|---|
| 完全市民(スパルティアタイ) | 戦士階級で政治と軍事の実権を握る |
| 劣格市民(ペリオイコイ) | 主に商工業を営むが参政権はない |
| 隷属民(ヘイロータイ、ヘロット) | 征服された先住民で、農耕労働を強制される |
このような社会では、隷属民の反乱を防ぐために軍事力が重視されました。完全市民は幼いころから兵士として厳しい訓練を受け、強い規律と忠誠心を身につけます。こうした精神が、テルモピレーの戦いでのスパルタ兵の勇敢な戦いにつながったのです。
第3回ペルシア戦争 ― テルモピレーの戦い
前480年、クセルクセス1世は、20万の軍勢を率いて、ギリシアに侵攻。こうして、第3回ペルシア戦争(テルモピレーの戦い)の始まります。
スパルタの精鋭300人が玉砕

スパルタのレオニダス王は精鋭300人と共に、テルモピレー峡谷でアケメネス朝ペルシア軍20万を迎え撃ちました。
スパルタ兵たちは狭い地形を活かして戦いましたが、裏道を敵に知られ包囲されてしまいます。レオニダスとその兵士たちは最後まで戦い抜き、全員が戦死しました。
アテネは火の海に
スパルタに勝利したアケメネス朝ペルシア軍は、アッティカ地方を制圧し、アテネに迫ります。
アテネの将軍テミストクレスは、決戦の場をを海上に移すため、アテネ市民をサラミス島などへ避難させました。その後、ペルシア軍は、無人となったアテネ市街を焼き払い、アクロポリスは火の海となりました。
決戦の舞台、サラミス湾へ

Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
そして、次なる戦いの舞台はサラミス湾へと移ります。アテネの将軍テミストクレスは、アケメネス朝ペルシア軍をサラミス湾で迎え撃つことになります。

