前371年 レウクトラの戦い

エパメイノンダス
テーベのエパメイノンダス
語呂合わせ

皆い(前371)い斜線陣、レウクトラの戦い

エパメイノンダス率いるテーベテーバイ)は、レウクトラの戦いスパルタを破り、ギリシアの覇権を握りました。

この記事では、レウクトラの戦いについて整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

目次

スパルタのギリシア支配

ペロポネソス戦争で勝利したスパルタは、ギリシアの各ポリスで自らの息のかかった政権を次々と樹立させます。このような強引な政策に多くのポリスが反発します。

一方、スパルタの勢力拡大を危険視したアケメネス朝ペルシアは反スパルタのポリスに経済援助を行いました。

コリントス戦争(前395年)

スパルタの専横に不満を持つアテネテーベコリントスなどのポリスは、アケメネス朝ペルシアの支援を受けてスパルタに反旗を翻しました。これがコリントス戦争(前395〜前387年)です。

大王の和約

戦いは長期化しましたが、最終的にアケメネス朝ペルシアの仲介により、大王の和約(アンタルキダスの和約) が結ばれました。これにより、ギリシア諸ポリスは一時的に平和を取り戻します。

「大王の和約」という名は、当時のペルシア王アルタクセルクセス2世に由来し、「アンタルキダスの和約」は、交渉を担当したスパルタの外交官アンタルキダスにちなんでいます。

この結果、アケメネス朝ペルシアはギリシアの内紛に積極的に介入し、ギリシア全体の勢力を弱めることに成功しました。

レウクトラの戦い(前371年)

エパメイノンダス
エパメイノンダス

コリントス戦争の後もスパルタの覇権は続きましたが、各地の不満はくすぶり続けていました。中部ギリシアのポリス・テーベは将軍のエパメイノンダスのもと、反スパルタの狼煙を上げます。

エパメイノンダスの斜線陣

ファランクス
ファランクス

エパメイノンダスは、重装歩兵による密集隊(ファランクス)の左側を厚くした斜線陣と呼ばれる新戦術を導入しました。この戦法は、戦力を一点に集中し、敵陣の一部を突破して全体を崩すという革新的なものでした。

テーベがギリシアの覇権を握る

テーベは、斜線陣によりスパルタを破り、ギリシアの覇権を握りました。エパメイノンダスはその後も影響力を発揮し、テーバイの黄金時代を築きました。

しかし、彼自身は後の戦いで戦死し、その死とともにテーバイの覇権も短命に終わりました。こうしてギリシアの覇権は、北方のマケドニアへと移っていきます。

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