牢に人(前621)送る、ドラコンの立法
『ドラムをソロでペイしてクレカ』(アテネ民主政の発展の順番)
ドラ = ドラコンの立法(前621年)
ソロ = ソロンの改革(前594年)
ペイ = ペイシストラトスの僭主政治(前561年)
クレ = クレイステネスの改革(前508年)
アテネの立法者ドラコンは、慣習法の成文化を行いました。これをドラコンの立法といいます。ドラコンの立法は、アテネ最古の成文法といわれています。
この記事では、ギリシア各地におけるポリスの形成からアテネにおけるドラコンの立法までを整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
ポリスの形成
前1200年頃、ミケーネ文明が崩壊すると、文字による記録が途絶えた「暗黒時代」が約400年続きました。

しかし、前8世紀に入ると、再び社会が活気を取り戻し、ギリシア各地でポリス(ギリシアの都市国家のこと)が形成され始めます。ギリシア全体ではおよそ1500ものポリスが存在したとされ、その中でも代表的なのがスパルタとアテネです。
スパルタ

スパルタは、鉄器を持ったドーリア人がペロポネソス半島のラコニア地方の先住民を征服してできたポリスです。
アテネ

アテネは、イオニア人がアクロポリスを中心に集住(シノイキスモス)してできたポリスです。
アクロポリス
アクロポリスには、守護神を祭る神殿があり、非常時には砦としても機能しました。周辺にはアゴラ(広場)があり、集会や市場として用いられました。さらにその周辺には、クローレス(分地)があり「くじ」で市民に割り当てられました。
ギリシア人としての意識
ポリスの市民は、ギリシア人としての同胞意識もありました。自分たちを英雄ヘレンの子を表すヘレネスと呼び、周辺の異民族をバルバロイと呼んでいました。バルバロイとは、訳のわからない言葉を話す者たちという意味です。
オリンポス12神

ギリシアで最も高いオリンポス山に住むオリンポス12神を信仰していました。オリンポス12神には、主神ゼウスや太陽神アポロン、美の神アフロディア、知恵の神アテナなどがいます。知恵の神アテナは、アテネの守護神にもなっています。
デルフォイの神託

ギリシア人は、神のお告げである神託を重視していました。その中でも最も権威があったのが、デルフォイの神託(デルフィの神託)です。デルフォイにあるアポロン神殿には、各地のポリスから神託を聞くために人々が集まってきました。
オリンピアの祭典

ゼウス神殿のあるオリンピアでは、4年ごとに祭典が開かれました。オリンピアの祭典は、ゼウス神に捧げる競技祭として始まりました。これが古代オリンピックで、現代のオリンピックの起源にもなっています。

アテネにおける貴族と平民の対立
アテネは、初めは王政でしたが、前8世紀半ばに貴族共和政に移行します。貴族共和政では、貴族のみに共和政が適用され、平民は政治から排除されていました。
武器自弁の原則
貴族が政治を独占していたのは、武器自弁(自分で武器を購入すること)の原則に基づいていました。貴族たちは自らの資金で武器を整え、戦争に参加することで発言権を得て、次第に政治を独占していったのです。
この時代には、軍役に就くことが参政権を持つための条件とされていました。
一方で、十分な財力がなく武器を購入できない平民は軍役を果たすことができず、参政権を持つことができませんでした。
裕福な平民の出現

しかし、貨幣経済や手工業の発展によって裕福な平民が現れると、社会の構造に変化が生じました。彼らは、軍役義務を果たし重装歩兵として戦争に参加するようになります。
重装歩兵の割合が増えると、戦い方が貴族による一騎打ちからファランクス(重装歩兵の密集隊)に変化していきました。
やがて平民たちは、自らの貢献に見合った参政権を求めるようになり、こうして貴族と平民の対立が表面化していったのです。
ドラコンの立法 ― 貴族の法の独占を破る
アテネで貴族と平民の対立が深まる中、立法者として登場したドラコンは、慣習法を成文化しました。それまで貴族が暗黙の了解で行っていた裁判の運営や基準を、文章にして明確な法として定めたのです。
この改革をドラコンの立法といいます。
これにより、個人的な復讐が禁止され、厳しい刑罰が規定されました。しかし、肝心の平民の参政権は依然として認められませんでした。
この不平等な状況は、のちのソロンの改革によって是正されていくことになります。

理解を深めるQ&A
よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!
