難踏み(723)越えて、
この記事では、三世一身法について整理し、高校日本史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
班田収授法の限界
当時の日本では、
しかし、人口の増加に伴い、口分田が不足しており、新しい農地の開発が急務でした。
元正天皇の治世
元正天皇は女性天皇で、
長屋王政権

この時期の政治の実権は、
長屋王は天武天皇の孫にあたる皇族で、政治の中枢にいました。
百万町歩の開墾計画の挫折
実は、三世一身法制定の前には、
これは、全国で100万町歩(約100万ヘクタール)の土地を開墾しようという計画でした。
しかし、労働力や技術力、資金の不足により現実的な計画ではありませんでした。

このような状況を受けて、開墾を促進するための政策として三世一身法が制定されたのです。
三世一身法
個人による土地の所有を限定的に認めつつ、開墾の難易度によって所有期間を調整しました。
| 対象 | 開墾の難易度 | 所有の期間 |
|---|---|---|
| 新設の灌漑設備を利用した開墾地 | 高い | 三世代 |
| 既存の灌漑設備を利用した開墾地 | 低い | 一世代 |
三世一身法が必要だった理由
これでは開墾の意欲が湧かず、人口増加に対応できる農地が不足していました。
そこで、開墾のインセンティブを与えるために制定されました。
三世一身法の意義
既存の
これは、律令制度の根幹である「公地公民制」(土地と人民は国のもの)に初めて例外を設けた画期的な法律でした。
成果はイマイチ
しかし、期限付きの土地所有制度であったため、大きな開墾の動きにはつながりませんでした。

理解を深めるQ&A
よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!
関連年表
奈良時代(710〜794年)の歴史は、次の通りです。
| 年号 | 出来事 |
|---|---|
| 710年 | 平城京へ遷都 |
| 711年 | 蓄銭叙位令の制定 |
| 712年 | 古事記の撰上 |
| 713年 | 風土記の撰上 |
| 713年 | 開元の治 |
| 717年 | 第9回遣唐使(阿倍仲麻呂・吉備真備・玄昉) |
| 718年 | 養老律令の制定 |
| 720年 | 日本書紀の編纂 |
| 722年 | 百万町歩の開墾計画 |
| 723年 | 三世一身法 |
| 724年 | 多賀城の設置 |
| 729年 | 長屋王の変 |
| 740年 | 藤原広嗣の乱 |
| 741年 | 国分寺建立の詔 |
| 743年 | 墾田永年私財法、大仏造立の詔 |
| 751年 | 懐風藻の成立 |
| 752年 | 大仏開眼供養 |
| 753年 | 鑑真の来日 |
| 755年 | 安史の乱 |
| 757年 | 橘奈良麻呂の変 |
| 764年 | 恵美押勝の乱 |
| 765年 | 道鏡、太政大臣禅師になる |
| 766年 | 道鏡、法王になる |
| 769年 | 宇佐八幡宮神託事件 |
| 780年 | 伊治呰麻呂の乱 |
| 784年 | 長岡京へ遷都 |
| 792年 | 健児の制 |
