792年 健児の制

桓武天皇
桓武天皇
語呂合わせ

泣くに(792)泣かれぬ、健児の制

健児こんでいの制は、郡司ぐんじの子弟を兵士として採用する軍制度です。

桓武かんむ天皇によって実施されました。

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軍団制の課題

当時の日本では、農民兵を主体とした軍団制が採用されており、兵力の量には優位性がありましたが、兵力の質(士気や練度)という点では、課題がありました。

また、唐の弱体化によって、対外的な緊張が緩和されることで、兵力の量よりも質が優先されるようになります。

九州・東北を除き、軍団制を廃止

そこで、兵力の質の向上のため、郡司の子弟を少数精鋭の兵士として採用する健児の制が採用されました。

九州は対外戦での最前線、東北は蝦夷との対立があり、兵力の縮小が望ましくなかったため、健児の制は採用されず、軍団制が維持されました。

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