語呂合わせ
苦見ろ(936)、燕雲十六州の割譲で後晋建国
この割譲は、中国の北辺防衛に深刻な影響を与え、のちに
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目次
五代のひとつ、後晋の成立
唐の滅亡後、中国は北方の「五代」と南方の「十国」に分裂し、混乱の時代に突入します。
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この「五代」の中の一つである後晋は、936年に建国されました。
建国者は、かつて後唐に仕えていた将軍・石敬瑭です。
936年、後唐に対して挙兵した石敬瑭は、キタイ(契丹)の援助を受けて後晋を建国します。
石敬瑭とキタイの密約
石敬瑭は、キタイに臣従する見返りに軍事支援を要請。
その代償として、キタイと燕雲十六州の割譲の密約を結びました。
キタイにとっては、中国本土への侵入ルートを獲得する絶好の機会となりました。
燕雲十六州とは?
燕雲十六州とは、現在の北京・天津・山西・河北一帯の16の州を指します。
これらの地域は、万里の長城の内側も含まれており、北方異民族から自国を守るために重要な地域でした。
ここが遊牧民族に割譲されたことは、中国の王朝の防衛線が一気に北から後退したことを意味します。
宋王朝の防衛上の弱点に
のちに宋(北宋)はこの地域の奪還を目指してたびたび遼と戦争を行うことになりますが、最終的にこの地を取り戻すことはできませんでした。
その結果、常に北方異民族に対して、劣勢な外交や軍事政策を強いられることになりました。
燕雲十六州の割譲 ― 長期的な代償
燕雲十六州はその後、遼→金→モンゴル→元→明と支配者を変えますが、漢民族王朝にとっては絶えず脅威の源でした。
漢民族による回復は、最終的に明(1368年建国)によってようやく実現しますが、それまでの約430年にわたり、北方民族にとっての“南下の足がかり”として使われ続けました。