1051年 前九年の役

前九年の役
前九年の役
語呂合わせ

人を強引(1051)に巻き込む、前九年の役

前九年ぜんくねんえきは、源頼義みなもとのよりよし義家よしいえ父子が出羽の蝦夷・清原武則きよはらのたけのりと協力し、陸奥の蝦夷・安倍頼時あべのよりとき貞任さだとう父子を討伐した戦いです。

目次

「蝦夷」と「俘囚」

奈良・平安時代、東北地方(陸奥・出羽)は中央政府の支配が及びにくい地域でした。

この地には「蝦夷えみし」と呼ばれる人々が住み、朝廷に服属した後も「俘囚ふしゅう」として半独立的な自治を保っていました。

俘囚とは、朝廷の支配に属するようになった蝦夷のことをいいます。

その代表が陸奥の豪族・安倍氏でした。

安倍頼時の台頭

安倍頼時は、俘囚の出身ながら陸奥地方で強大な勢力を築きます。

頼時は、朝廷の命令に従わず、事実上の地域支配者となって租税も納めない状態になります。

1051年、国司が安倍氏を討伐しようとして反撃され、戦争が本格化します。

これが前九年の役の始まりです。

源頼義・義家親子の登場

この事態に対し、朝廷は関東の武士団を率いる源頼義を陸奥守として派遣。

子の源義家も従軍し、親子で東北の戦乱に挑みます。

安倍頼時から貞任へ

戦いの最中、安倍頼時が戦死し、息子の安倍貞任が抵抗を続けました。

貞任は武勇に優れた人物で、頼義・義家親子との間で激しい戦いが繰り広げられます。

清原武則の協力

清原武則
清原武則

戦いが長期化する中で、頼義は出羽の豪族・清原武則に協力を要請します。

清原氏は出羽国の俘囚で、安倍氏と対立関係にありました。

清原氏の支援を得た頼義は有利に立ち、戦況が大きく変わっていきます。

安倍氏滅亡

そして、源頼義・義家・清原武則連合軍は、ついに安倍貞任を撃破し、前九年の役は終結します。

これにより、陸奥の豪族・安倍氏は滅亡し、その支配権は朝廷とその協力者に移ります。

目次