語呂合わせ
人を強引(1051)に巻き込む、
前九年の役の様子は、軍記物の
目次
蝦夷と俘囚
奈良・平安時代、東北地方(
この地には「
その代表が
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658年 蝦夷・粛慎の征討
語呂合わせ 無言でや(658)り抜く、阿倍の征討 斉明の征討を行いました。 東北経営の始まり 古代日本において、東北地方は「蝦夷の地」と呼ばれ、大和朝廷の直接的な支…
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801年 坂上田村麻呂の蝦夷征討
語呂合わせ やれ行(801)け、坂上征討 坂上を降伏させました。 朝廷と蝦夷の対立 蝦夷とは、古代から中世にかけて東北地方に住んでいた人々の総称です。 ヤマト政権と…
陸奥の安倍氏
頼時は、朝廷の命令に従わず、事実上の地域支配者となって租税も納めない状態になります。
1051年、国司(受領)が安倍氏を討伐しようとして反撃され、戦争が本格化します。
これが
源頼義・義家親子の登場
この事態に対し、朝廷は関東の武士団を率いる
子の源
源頼義
源頼義は、平忠常の乱において、父の源頼信に従って平定したことで武名を挙げていました。
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1028年 平忠常の乱
語呂合わせ 人を増や(1028)して、平の乱 平)で起こした反乱です。 追討使に平定されました。 前上総介、平忠常 平安時代中期、中央の支配が行き届きにくかった関東で…
安倍頼時から貞任へ
戦いの最中、
貞任は武勇に優れた人物で、頼義・義家親子との間で激しい戦いが繰り広げられます。
出羽の清原氏の協力

戦いが長期化する中で、頼義は
清原氏は出羽国の俘囚で、陸奥国の安倍氏と対立関係にありました。
清原氏の支援を得た頼義は有利に立ち、戦況が大きく変わっていきます。
安倍氏滅亡
そして、源頼義・義家・清原武則連合軍は、ついに安倍
これにより、陸奥の豪族・安倍氏は滅亡し、奥州は清原氏が手中に収めることになります。
このことが、源氏にとって遺恨となり、のちの後三年の役につながることになります。