人は混み(1053)合う、平等院鳳凰堂の建立
藤原頼通は、宇治に平等院鳳凰堂を建立しました。
「宇治の関白」藤原頼通
平等院鳳凰堂を建立したのは、藤原頼通です。
頼通は、父・藤原道長の後を継ぎ、長期にわたって摂政・関白を務めた人物です。

当時、摂関政治が安定期を迎える一方で、武士の台頭や地方の動乱など、社会の変化の兆しも見え始めていました。

このような中で、極楽往生への願いを込めて平等院鳳凰堂を建立したのです。
頼通は、宇治に建立した平等院を拠点とし、政務を行なったため、「宇治の関白」とも呼ばれました。
浄土教の流行と末法思想
平等院鳳凰堂の建立を理解するためには、当時流行した浄土教や末法思想を知る必要があります。
浄土教とは
浄土教は、阿弥陀仏への信仰を通じて極楽浄土への往生を願う仏教の一派です。
平安時代中期以降、貴族社会を中心に広まりました。
末法思想とは
末法思想とは、釈迦の死後2000年が経過すると仏法が衰退し、人々が救われにくくなるという考え方です。
1052年が末法の始まりとされており、平等院鳳凰堂が建立された1053年は、まさにこの末法の時代に入った直後でした。
このような宗教的危機感が、極楽往生への強い願望を生み、平等院鳳凰堂のような浄土建築の建立を促したのです。
鳳凰堂の文化的特徴
鳳凰堂は、阿弥陀如来を中心に据えた阿弥陀堂建築で、左右に翼廊、背面に尾廊を持つ構造が、飛翔する鳳凰の姿に似ていることからこの名がつきました。
定朝の阿弥陀如来像
鳳凰堂の内部には、仏師の定朝が製作した阿弥陀如来像が安置されており、寄木造で作られた仏像です。
寄木造は、複数の木材を組み合わせて彫刻を仕上げる技術です。
来迎図
また、堂内の壁面には来迎図が描かれ、天井や柱には極彩色の装飾が施されています。
これらの装飾は、極楽浄土の世界を視覚的に表現したものです。
現代における平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂は、国宝に指定されており、1994年には世界文化遺産にも登録されました。
また、10円硬貨の図案として採用されています。