前330年 アケメネス朝ペルシアの滅亡

バビロンに入城するアレクサンドロス大王
アルベラの戦いに勝ち、バビロンに入城するアレクサンドロス大王
語呂合わせ

散々落(前330)ちぶれ、アケメネス朝ペルシア滅亡

アルベラの戦い(ガウガメラの戦い)でアレクサンドロス大王アレクサンドロス3世)に敗れたダレイオス3世は、家臣のベッソスに暗殺され、アケメネス朝ペルシアは滅亡しました。

この記事では、アケメネス朝ペルシアの滅亡について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。

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バビロン入城

前331年、アルベラの戦いガウガメラの戦い)で勝利したアレクサンドロスは、アケメネス朝ペルシアの都市バビロンへ入城しました。その後、スサに入城し、都のペルセポリスに迫ります。

都ペルセポリスの焼き討ち

ペルセポリス
ペルセポリス

前330年、アレクサンドロスはついに都のペルセポリスに入城します。その後、王宮は焼き払われ、都全体が廃墟となり、現在までその姿をとどめています。

ペルセポリスは、ダレイオス1世以来3代かけて建設した都です。

アケメネス朝ペルシアの滅亡

一方、アルベラの戦いガウガメラの戦い)で敗れたダレイオス3世は中央アジアのバクトリアに逃れようとしました。しかし、前330年、途上で家臣のベッソスによって暗殺されました。

こうして、キュロス2世以来、約200年続いたアケメネス朝ペルシアは滅亡しました。

ペルシアの支配体制は継承

アレクサンドロスは、降伏したサトラップをその地位のまま任命し、アケメネス朝ペルシアの支配体制をそのまま継承しました。その後、自らを神格化し、オリエント風の専制政治を行うようになりました。

サトラップは、アケメネス朝ペルシア領内の州を治める知事のことです。

理解を深めるQ&A

よくある質問を通して、学びをさらに深めよう!

ペルセポリスが焼き払われたのはなぜですか?

かつてペルシア戦争クセルクセス1世がアテネのアクロポリスを焼き払ったことへの報復といわれています。

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