オクタウィアヌスは、プリンケプス(市民の中の第一人者、元首)を自称し、元老院と共同統治を行う
しかし、多くの要職を兼任していたため、事実上の帝政でした。
この記事では、オクタウィアヌスの元首政について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
アウグストゥス ― 尊厳なる者

アクティウムの海戦の後、オクタウィアヌスは、独裁の意思がないことを示すため、元老院に権力を返す姿勢を見せました。

元老院はこれを歓迎し、彼に「アウグストゥス(尊厳なる者、尊厳者)」の称号を贈りました。
オクタウィアヌスは、カエサルの様に暗殺されることを避けるため、独裁者への野心がないことを示したのです。
元首政(プリンキパトゥス)
元首政(プリンキパトゥス)とは、共和政の伝統を維持しながら、元首(プリンケプス)が実権を掌握する政治体制のことです。
プリンケプス ― 市民の中の第一人者

オクタウィアヌスはプリンケプス(市民の中の第一人者、元首)を自称し、元老院との共同統治を行いました。
しかし、インペラトル(最高軍司令官)、執政官、護民官職権、最高神官などの最高官職を段階的に獲得していきました。
そのため、オクタウィアヌスは、事実上の皇帝で、通常、初代ローマ皇帝として扱われます。
この元首政は、3世紀末のディオクレティアヌスによる専制君主政(ドミナトゥス)の時代まで続くことになります。

トイトブルクの森の戦い ― ゲルマン人に大敗

アウグストゥスの晩年、ローマ軍は、現在のドイツ北西部でゲルマン人と戦いましたが、ほぼ壊滅するほどの大敗を喫しました。
これをトイトブルクの森の戦い(9年)といいます。
この敗北により、ローマとゲルマン人の国境は、ライン川とドナウ川へと固定されました。
ラテン文学の黄金時代
ラテン文学とは、ローマ人がラテン語で書いた文学のことです。
特に、アウグストゥスの時代はラテン文学の黄金時代といわれています。
アエネイス ― ローマ建国神話

詩人ウェルギリウスの書いた
この物語でトロイア人の英雄アイネイアスの子孫がローマ人の祖先になったと語られています。
ローマ建国史
歴史家リウィウスは『ローマ建国史(ローマ史)』を書き、ローマの歴史を体系的にまとめました。
この歴史書は、全142巻にも及び大作で、ローマ建国からアウグストゥスの時代までが描かれました。
オクタウィアヌスの後継者たち
初代ローマ皇帝のアウグストゥスの死後、第2代のティベリウスから第3代のカリグラ、第4代のクラウディウス、第5代のネロまで、アウグストゥスの一族の血統が後を継ぎました。
特に重要なのは、ティベリウスとネロです。
ティベリウス(第2代皇帝)

ティベリウスは、アウグストゥスの養子で、イエスが処刑されたときの皇帝として有名です。
イエスの登場

イエスは、ローマ帝国支配下のユダヤ属州で活動したユダヤ人の宗教指導者です。
イエスは、ユダヤ教の選民思想やパリサイ派の戒律主義が、排他主義や形式主義に陥ることを批判し、神の無条件の愛と隣人愛を説きました。
しかし、イエスのこうした言動は、ユダヤ教指導者層の権威を揺るがすものでした。
イエスの処刑

その結果、イエスは、エルサレム神殿の司祭団によって拘束され、ローマ総督ピラト(ピラトゥス)に政治犯として告発されました。そして、十字架刑に処されました。
キリスト教の成立
イエスの処刑後、弟子たちが「イエスは復活し、救い主(キリスト)である」と信じて伝え、その信仰がキリスト教として広がっていきました。
ネロ(第5代皇帝)

ネロは、ローマ大火の際に、キリスト教徒を迫害しました。

パクス=ロマーナ(ローマの平和)
アウグストゥスの治世から五賢帝までの約200年間は、ローマが最も繁栄した「パクス=ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれます。

理解を深めるQ&A
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