人を並(107)べて、
倭国王の
帥升は、歴史書に名前が記録された最初の日本人として有名です。
この記事では、倭の帥升と後漢との外交関係を整理し、高校日本史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
謎の人物、帥升
しかし、実は帥升についてわかっていることは非常に限られています。
『後漢書』東夷伝に残る記録
中国の史書『
この一文から、わかるのは「後漢の安帝の時代に、倭国王の帥升たちが、奴隷160人を献上して、謁見を願った」ということだけです。
なぜ帥升が重要なのか
帥升が日本史上重要な人物である理由は、帥升が歴史書に名前が記録された最初の日本人だからです。
それまでも倭国に関する記述はありましたが、具体的な王の名前が記されたのは帥升が初めてでした。
後漢王朝と安帝の時代
帥升が使節を送った相手は、中国の
後漢は25年〜220年まで続いた王朝で、

安帝の時代は、後漢の中期にあたり、比較的安定した時期でした。
この時期の後漢は、周辺諸国との朝貢関係を重視し、東アジア地域の国際秩序の中心として機能していました。
生口160人の献上
帥升が後漢に献上したのは
これだけの人数を献上できたということは、帥升が権力と経済力を持った統治者であったことを示しています。
また、当時の倭国が他の地域との戦争や交易を通じて、多くの人々を支配下に置いていたことも推測できます。
倭国大乱の時代へ
帥升の後、2世紀後半に「
これは『
最終的には、卑弥呼が女王として登場し混乱を収めることになります。

関連年表
| 年号 | 出来事 |
|---|---|
| 25年 | 光武帝が後漢を建国 |
| 57年 | 奴国王、光武帝より金印を授かる |
| 107年 | 帥升、後漢に生口を献上 |
| 184年 | 黄巾の乱 |
| 220年 | 魏の建国 |
| 239年 | 卑弥呼、魏に遣使 |
