人をな(前107)だめて人集め、マリウスの兵制改革
平民派の軍人マリウスは、武器を自弁できない無産市民を志願兵として採用し、傭兵制(職業軍人制)を導入しました。
これを、マリウスの兵制改革といいます。
この記事では、マリウスの兵制改革について整理し、高校世界史で問われやすいポイントをわかりやすく解説します。
グラックス兄弟の改革の失敗
ポエニ戦争後、ローマでは中小農民の没落により無産市民が急増し、兵士の供給源が失われてローマ軍の弱体化が問題になっていました。
これを立て直そうとしたのがグラックス兄弟の改革で、土地所有を制限し無産市民に再分配することで、再建を図ろうとしました
しかし、閥族派(元老院に従うグループ)の反対により失敗しました。

ユグルタ戦争 ― ローマ軍の脆弱さが露呈

この混乱の最中に起きたのが、ローマとヌミディア王ユグルタとの戦いであるユグルタ戦争です。
北アフリカのヌミディア(現在のアルジェリア周辺)で行われたこの戦争で、ローマ軍の弱体ぶりが明らかになります。
平民派の軍人マリウスは、従来の武器自弁の原則にもとづく市民兵の弱さに衝撃を受け、兵制改革を決意しました。
マリウスとは
マリウスは、平民派の軍人で護民官を務めたあと、ユグルタ戦争に参加しました。
その後、執政官(コンスル)になり、兵制改革を実行します。
市民兵の弱体化の理由
ポエニ戦争を契機とする中小農民の没落やグラックス兄弟の改革の失敗により、武器を自弁できなくなったため、市民兵による重装歩兵が弱体化していました。
兵制改革 ― 市民皆兵制から傭兵制へ
執政官(コンスル)に就いたマリウスは、無産市民を志願兵とする傭兵制(職業軍人制)を導入しました。
これにより、無産市民の失業問題を解決しつつ、平民会の軍事力も強化することができました。
さらに、この改革はローマの伝統であった市民皆兵制の終わりを意味し、軍事制度の大きな転換点となりました。
実際に、マリウス率いる傭兵部隊により、ユグルタ戦争で勝利を収めています。
「軍の私兵化」が進む
傭兵制の導入により、兵士は国家ではなく、自分を雇用し報酬を与える将軍に忠誠を誓うようになります。
この結果、軍事力が将軍個人の力となり、「軍の私兵化」が進行することになりました。
これにより、ローマで内乱が激化する原因の一つになります。

理解を深めるQ&A
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